2012年4月6日金曜日

「ひととなり消費」が必要とされる理由

昨日のポストで、「ひととなり消費」という言葉を使いました。一言でいえば、「その人が好きだから、信頼できるから、おススメの商品を買う消費スタイル」です。

私が「ひととなり消費」が必要になると考える理由は2つあります。

一つ目は、人々が選ぶことに疲れている、という点です。 日経ビジネスオンラインで、ダイソーの矢野博丈社長が次のように述べているのが印象的でした。

引用元:
「潰れる恐怖から店をオシャレにしました」 ザ・ダイソー矢野社長の“進化”(2012/4/3)
近年は、お客様は本当に変わられました。コンビニ現象とでも言うのですかね、今のお客様は、思ったものを思ったところでパッと買いたいのです。100円ショップは、アイテムをたくさん揃えて、宝探しのような楽しさを強調していましたが、今のお客様は、それが面倒臭いのです。選ぶ面倒臭さが、波のように押し寄せてきている。
情報の多様さ、商品・サービスの豊富さが、選択を難しくさせているのです。日常生活のピンからキリまで、どの瞬間にも判断と選択を求められる現代にあって、判断や選択は、自由や権利ではなく義務なのです。義務であれば、消費における判断と選択を、自分とセンスの近い人にゆだねてしまえば楽になる。そのような心理が働くのは想像に難くありません。

二つ目の理由は、「欲しいものがないから消費しないだけで、消費する理由があれば消費する余力はある」という点です。 たとえば、旅行。若者の旅行離れが報じられていますが、本当に若者が旅行したくなくなったのか。それは違います。もっと面白いものが旅行以外にあるから、旅行に行かなくなっているだけです。

引用元:
ツーリズム・マーケティング研究所レポート
「戦後60年のライフスタイル・価値観の変化と今後の旅行の行方」(2012/3)
かつて「旅行」は、誰もが得たいと思う夢の一つであり、他の消費を我慢しても手に入れたいものだった。消費の成熟化とともに、横並び意識もなくなり、各自の価値観で消費は選択されるようになっている現在、旅行は行きたい人が行く時代になっている。現に海外旅行へは行く人と行かない人とに二分され、行く人はリピーター化して、行かない人は全く行かない、というのが現状である。
一部の若者にとって「旅行」という商品は、無条件の魅力を感じるものではなくなり、消費したいと思わなくなった。それが若者の旅行離れにつながっているというわけです。

欲しいものがない、だけれども消費したい。そのような人に対して、売る側ができることは、「欲しいと思わせるような商品・サービスを企画・開発すること」「魅力を最大限に訴求すること」です。前者の「欲しいと思わせるような商品・サービスを企画・開発すること」はかなり難しい。なぜならば、売り手も消費者のニーズがわからないし、消費者自身ですら何が欲しいのかわかならないからです。もちろん、アップルのように、消費者のニーズではなく自分たちが売れるはずだと信じるものを作り世に送り出すことで、マーケットを作り出していくという方法もあるでしょう。しかし、リスクも高く、かなり強い信念がなければそれを突き通すのは難しい。そこで目を向けたいのが、「魅力を最大限に訴求すること」です。

「魅力を最大限に訴求すること」は、「いまいる顧客に対して訴求すること」と「これから顧客になるかも知れない人を発見し、その人に対して訴求すること」です。そして、「ひととなり消費」がうまく作用するのは、後者の「これから顧客になるかもしれない人を発見する」場面においてなのです。「友達の友達はみな友達」式に、自分が好きな人・信頼する人がおススメする商品・サービスならば信頼できる。そのようなネットワークが自社にとって有利に働くような状態を作り上げるために、多くの人に信頼してもらっている人を育成していくことが、「ひととなり消費」を攻略する鍵です。一番コントロールしやすいのは、売り手側の人間にソーシャルネットワークを使ってもらい、自由に活動させることで顧客の歓心を得ることでしょう。しかし、口コミやレビューのセミプロや、大きなネットワークを持っている、オピニオンリーダー的な人を、自社のネットワークにつなげていく方法を検討してみる、というのも手です。

様々なソーシャルメディアが乱立し、新たな機能の追加や既存機能の変更もめまぐるしく実施されている現状。企業にとっては、ソーシャルメディアを完璧に使いこなすことは難しいかもしれません。しかし、本質的に「ひととなり消費」を押さえていくのだということを意識することで、何をすべきで何をすべきではないのかが判断しやすくなるのではないでしょうか。

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