2012年7月6日金曜日

[問題提起]持続可能な社会のためには企業と消費者が負担すべきコストがあるのではないか?

久々の更新となりました。
ECの進化に関するエントリーの続きが残っているのですが、まだ結論が出ていないので閑話休題です。

本日は、豊かな社会を実現するためには、企業も消費者もそれ相応のコストを負担しなければならないのではないか?という疑問提起です。

少し本論とは外れるのですが、数年前、洋裁にハマったことがありました。
たまたま時間があったということもあり、ユザワヤやオカダヤ、渋谷のマルナンなどの手芸店で特売品の布を買いあさり、毎日朝から晩までミシンをかけ続けていた時期でした。
そのときわかったのが、高い服には高いなりの理由があり、ファストファッションに代表される安い服とはまったくジャンルが異なるものだということでした。
もともと私はデザイン性の高い服が好きだということもあり、そもそも売っている型紙では自分が満足するようなデザインの服を作ることはできませんでした。(それ以前に、洋裁の腕のレベルが低いので、高度なテクニックを必要とするデザイン性の高い服は作れませんが)
それでも、自分が欲しいと思う服がなぜ高いのかを理解するには十分でした。
素人目の私にわかった一番大きな違いは、布地の方向です。
ファストファッション系の服は、一枚の布からできるだけ効率的にパーツを取るため、布目がバラバラです。
一方、私が欲しいと思うようなデザイン性の高い(値段も高い)服は、洋服のパーツの方向と布地の方向を合わせて裁断してあります。
決まった幅の布地にパズルのようにパーツを組み合わせるのではなく、布目の方向を合わせるために、裁断したら再利用できないような端切れがたくさん出るパターンでカットしているのです。
そもそも生地自体の品質が良いので、生地を買うだけでも結構な金額になります。私が自分で生地を買って裁断し、縫製することを想像すると、その端切れの多さに、つい「もったいない…」と思ってしまうことが容易に想像されます。
それを考えると、安い服は、できるだけ端切れが出ないよう、効率と流行を追求した結果の工業製品だなあとしみじみ思うのです。
つまり、 効率と流行以外については優先度を落とす、という戦略です。

さて、消費者としてはより安くいいものを、という欲求を持つことは当然であるように思われます。
しかし、よく考えてみると、過剰に安さを求めることが、結果として自分の好きなデザイナーの自由で継続的な活動を不可能にしているのではないかとも思うのです。
景気が悪く、生活者として財布の紐を絞めるのは当然の帰結かもしれませんが、一方で、ファッションという文化とそれをリアルな生活に結びつける産業を大事にするために、消費者自身が投資をするという意識を育てる必要があるのでは?と思います。

ここからが本論です。
文化を育てる、社会正義を貫く、安心・安全を享受できる社会を育てる意味で、企業はそれ相応のコストを負担すべきではないか?
ひいては、そういった企業が存続できるよう、消費者自身が投資という意味で多少の価格上昇を受容すべきなのではないか?というのがこのエントリーにおける問題提起です。
そういったCSRの意識が高い企業だけがコストを負担する形では、結局割を食うだけになってしまいます。
社会の成熟度という意味で消費者が受容する素地を作ると同時に、産業によっては、ある程度仕組みとして企業にコストを負担を義務付ける必要があるのかもしれません。

ちなみに、この持論は原子力政策についても同様です。
公平さ、社会正義、安全の享受という観点から、原子力を排除し、企業にとっても消費者にとってもコスト増となったとしても、他のエネルギーに切り替えるべきというのが私の持論です。

2012年4月12日木曜日

ソーシャルコマースの可能性は?-Eコマースの変遷から読み解く(4)

大変長い記事であるため、複数回に分けてお送りしています。


前回、今後のEコマースの方向性として、次の4つの点について言及しました。

  1. Eコマースのメリットを充実させる仕組み
  2. Eコマースの欠点を補う仕組み
  3. コンテキスト消費を促す仕組み(オウンドメディア)
  4. コンテキスト消費を促す仕組み(ソーシャルコマース)
3と4のコンテキスト消費とは何か?-これについては説明が長くなるので、また次回として、今回は1と2について考察していきます。

1.Eコマースのメリットを充実させる仕組み

Eコマースのメリットをさらに充実させて、Eコマースの拡大を目指す方向性です。たとえば、「価格」や「検索性」などがあげられるでしょう。

「価格」の取り組みでは、招待制ブランド品セールのGILTが目をひきます。

月9の視聴率も落とす!? 招待制ブランド品セール「ギルト」の魅力とは(2009年11月26日)
キーワードは「知人からの招待制」「正規流通のブランド品」「最大70%OFF」。月曜だけではなくほぼ毎日21時からぴったり54時間セールが行われるが、カートにキープできる時間は10分だけ(チェックアウトしないと取り消される)。たいてい2時間で売り切れ、残っているのはXSかXLのサイズだけになるが、やがてそれもなくなる。
安さの秘密は、アパレルブランド側が何らかの理由で売りさばきたいものを直接買い付けしているから。いわゆる「わけあり」なのです。

「わけあり」には、楽天も目を付けています。

“楽天市場は少なくとも今の倍以上に成長する”国内最大手が見据えるこれからのEC(2010年4月19日)
例えば、“訳あり”商品の人気に火が付いているが、藤田氏は「理由も無く安いのは不安。“訳あり”は安い訳がないと売れない」と見ている。その点、ECは安い訳を店頭よりもじっくりと説明できるメリットがある。これまではテキストと画像だけだったが、動画も使うことができるようになり、商品説明という点でのECの優位性はさらに増すと見込んでいる
そのほかにも、くまポンやグルーポンなどのフラッシュマーケティングなど、価格を武器にEコマースを拡大する仕組みは検討に値します。

「価格」以外では、「検索性」も利便性を向上しする一つの手段です。たとえば、ZOZOタウンでは、

日経新聞2011年1月17日朝刊
千葉県習志野市にある約2万平方メートルの物流拠点の一角で、1点ずつ身に着けたモデルを社員カメラマンが撮影する。襟の形のアップなど10回ほどアングルを変える。サイトでは婦人靴ならヒールの高さから検索できるなど、かゆいところに手が届くサービスを盛り込んだ。
とあるように、「実際に自分の目で確かめられないから」「試着ができないから」ネットで洋服や靴は買えないという常識を、「検索性」を高めることで逆に覆し、検索できるからこそブランド横断で自分の欲しいものを探せるという強みに変えています。

このように、従来からEコマースの強みとされてきた特徴をさらに拡充し、利用者のリテンションを実現してEコマースを拡大していくことができるのではないでしょうか。

2.Eコマースの欠点を補う仕組み

Eコマースの欠点として、「実際に自分の目で見て確かめられない」「今すぐ使いたいのに手に入らない」というものがあげられます。これを解決することで、Eコマースを進化させるのが2つ目の方向性です。つまり、真の意味でのクリック&モルタルの実現です。

クリック&モルタルはすでにご承知のこととは思いますが、念のため書き添えますと、「実店舗とEコマースの両方で事業を行う」形態のビジネスです。たとえば、ビックカメラは実店舗を持ちながら、ネットショッピングも運営しています。とはいいつつも、オンラインでの売り上げは全売り上げの5%程度(記事参照)ということですから、ほとんどが実店舗のビジネスで成立していることになります。

ではなぜ、実店舗のビジネスをEコマースに取り込むことが重要なのでしょうか。

経済産業省が発表している電子商取引に関する調査報告では、2010年のEC化率(全商取引を分母としてEコマースで取引された割合)は2.46%にすぎません。つまり残りの97.5%は実店舗でのビジネスで取引されているわけです。Eコマースを拡大するにあたり、パイの大きな部分に手を付けていかざるをえないでしょう。

実際、Yahoo!やGoogleも、実店舗とインターネットを結び付ける方向性を示しています。

実店舗の商品を検索できる Google ローカルショッピング開始(2011年9月16日)
商品名を検索すると、付近の取り扱い店舗と価格が表示され、営業時間や店舗までのルートなどもそのまま調べることができます。iPhone / Android からの利用も可能。ちかごろは実店舗で品定めをして、ネットで価格を調べ買うというような購買行動も見られますが、これからはネットで調べて安い実店舗へ向かうというような行動も生まれるかもしれません。
まだまだはじまったばかりの取り組みですし、プラットフォーム側(Yahoo!やGoogle)がどのように出るのかわからないので、吉と出るか凶と出るかも判断しかねるのですが、クリック&モルタル戦略を実現して一躍存在感を増やす企業が出てもおかしくない状況と言えます。

余談ですが、米国の調査で、とモバイルで事前調査をした人の72%がワイヤレス機器を店頭で買っている(モバイル以外は55%)とのこと(記事参照)。ここからも、ネットで調べて実店舗で買う、という消費行動があることがうかがえます。

長くなってきましたので、今日はここまで。

ソーシャルコマースの可能性は?-Eコマースの変遷から読み解く(3)

大変長い記事であるため、複数回に分けてお送りしています。





EC洗練期・モバイルコマース勃興期が意味するもの

Eコマース市場が成熟化し、ビジネスモデル自体の洗練化が進んだこの時期。実は、ゼイヴェル(2008年に)の取り組みは、次のステージへの幕開けを告げるものでもありました。それは、それまでのECで購入されるものは「指名買い」「日用品」でしたが、ゼイヴェルは「ファッション」を売った、ということです。

「指名買い」では、ユーザーはすでに自分が何を欲しいのかを知っていました。「日用品」では、銘柄を指定することはなくても、何を必要としているのかはわかっていました。一番安い何か、一番売れている何かを買えば、ユーザーは満足していたのです。ところが「ファッション」は「センス」が売りのビジネスです。ユーザー自身が、「リーバイスの903が欲しい」と指名買いすることはめったにありませんし、ジーパンが欲しいからと言って、一番安い何か、一番売れている何かを買えば満足するというものでもありません。「ファッション」を売るとは、自分に似合うものは何かを探し当ててもらうこと、ひいては自分がどんなふうになりたいのかというイメージを売ることなのです。

Amazonや楽天のユーザーインターフェースでは、それを実現することはとても難しい。そこで出てくるのが、「クロスメディア」というキーワードです。インターネットというメディアと、雑誌、テレビ、ファッションショーなどのイベント、実店舗を持つアパレルブランド等の既存メディアを融合させる仕組み。それがクロスメディアのEコマースです。

クロスメディアで使用される媒体は、既存のメディアです。その特徴は、

  1. 「個」をターゲットとするインターネットと異なり、ある程度のマスを相手にしている
  2. パーソナライズを基本とするインターネットと異なり、それを見る人・そこを訪れる人に同じ体験(Look&Feel)を与える
  3. 断片的なコンテンツが浮遊するインターネットと異なり、ストーリー/文脈を持っている
というものです。

これらの要素を包含しているからこそ、流行が生まれる。流行があるからこそ、その流行の中に、なりたい自分の姿を描くことができる。なりたい自分の姿をそこに見ることができるから、それを実現するために商品を買う。流行とは、人の欲求を引き出し、それを購入すべきだと確信させる購買決定要因なのです。

既存のメディアは商品の検索や決済の機能はありません。逆にE従来のEコマースでは、流行を生み出すことができませんでした。Eコマースへのクロスメディア導入は、今まで売ることのできなかった「イメージ」や「センス」を売ることを可能にしたという点で画期的な事例であったといえます。

しかし、「イメージ」や「センス」を売ることは、クロスメディアの専売特許ではありません。何が欲しいのかわからないけれど、欲しいという欲求を起こさせる仕組みは、実はほかにもあります。それこそが、スマートフォンとソーシャルメディアが作り出す、ストーリー/文脈の中での消費、つまりソーシャルコマースです。

スマホ・ソーシャル時代

ここまで考察してきたように、Eコマースは成熟しています。そんな時代にあって、Eコマースは今後どんな可能性を取りうるのでしょうか。私は、次の4つの可能性を提言します。

  1. Eコマースのメリットを充実させる仕組み
  2. Eコマースの欠点を補う仕組み
  3. コンテキスト消費を促す仕組み(オウンドメディア)
  4. コンテキスト消費を促す仕組み(ソーシャルコマース)
詳しい説明は、また後日。

ソーシャルコマースの可能性は?-Eコマースの変遷から読み解く(2)

大変長い記事であるため、複数回に分けてお送りしています。前回の記事はこちら





EC洗練期

2000年代後半、Eコマースはさらに洗練されていきます。Eコマース事業者側も価格競争での消耗を避けるため、利便性を向上することで、Eコマースに付加価値を与える取り組みを始めました。それが、「商品のお届け日の短縮」「送料無料」という点です。

富士通総研の調査レポート「インターネットショッピング2010」によると、利用したネットショップのタイプと選んだ理由の1位は価格、2位は送料・配送条件、3位はポイント・特典等という順番でした。

EC市場の現状とECへの取り組みのポイント(2)~アマゾン・楽天2強時代と大手小売の挑戦~(富士通総研ホームページコラム2011年4月12日)

商品のお届け日の短縮化は、利便性向上の顕著な例です。もともと、Eコマースは「いま欲しいに応えられない」という特性をもっています。その欠点を改善するべく、Amazonは早くから物流の効率化を進めていました。2005年には千葉県市川市、2007年には千葉県八千代市、2009年には大阪府堺市、2010年には埼玉県川越市に、それぞれ次々と物流倉庫を整備しました。これにより、今オーダーすれば明日届く、「欲しいときに手にする」にほぼ近い消費体験を実現することができるようになったのです。物流への取り組みは、楽天も2008年から佐川急便と組んで「あす楽」というサービスを行っています。

また、送料という点で見てみると、Amazonはもともと購入金額1,500円以上で送料無料としていたのを、2010年に完全無料化しています。これに対応するように、楽天も同年、楽天Booksの送料を完全無料化しました。いまや、消費者にとって、送料は無料が当たり前の時代なのです。

「商品のお届け日の短縮」「送料無料」のような物流の効率化による、ユーザーの利便性の向上は、当然のことですが規模の経済が働かない限り実現は困難です。実際、前掲の富士通総研の調査レポート「インターネットショッピング2010」で、利用したサイトのタイプ(直近1回)について尋ねたところ、楽天(42.2%)とAmazon(14.1%)で過半数を占め、楽天とAmazonの2強時代であると分析されています。Eコマースの洗練化は、市場の成熟化、寡占化と表裏一体であるといえます。

では、もはや新規参入の道は残されていないのでしょうか。これについては、もう少し後で考察していきたいと思います。

モバイルコマース勃興期

2005年前後から、インターネットの主戦場はパソコンだけではなくなります。i-modeの普及、携帯画面のカラー化、ユーザーの成熟によって、モバイルコマースが台頭し始めました。拍車をかけたのは、デジタルネイティブと呼ばれる、生まれて物心ついた時にはインターネットを使っている世代が、消費をし始める年代になったということです。デジタルネイティブのユーザーは、パソコンを立ち上げることですら面倒くさい。消費すら、携帯の画面上で十分なのです。

このことを象徴的に表すビジネスが、ゼイヴェル(2008年ブランディングに社名変更)のEコマース事業です。ゼイヴェルという会社名を知らなくても、「東京ガールズコレクション」という名前を聞いたことがある人はいるかもしれません。

少し古い記事ですが、東京ガールズコレクションとモバイルコマースについて触れた記事がありました。

東京ガールズコレクションでモバイル通販体験 ゼイヴェルが仕掛ける「クリック&イベント」戦略(2007年2月16日)
東京ガールズコレクションの最大の特徴は、蛯原友里や押切もえ、土屋アンナといった人気モデルが当日着た服を、その場にいながらにして携帯電話の通販サイトから購入できることだ。ファッションショーと携帯電話を組み合わせた「クリック&イベント」とでも呼ぶべき、新しいEC(電子商取引)の形態として注目されている。
ゼイヴェルの直近の売上高は残念ながら見つけることはできませんでしたが、2008年3月期で170億円ほどあると推測され(記事参照)バカにすることができないビジネスだといえます。

追い風をかけるように、2007年にiPhoneが発売され、次いでAndroid携帯も含めたスマートフォンが市場を席巻します。携帯の手軽さと、パソコンのようなコンテンツの表現力を兼ね備えたスマートフォンは、モバイルコマースをさらに加速させたことは言うまでもありません

本日はここまで。

ソーシャルコマースの可能性は?-Eコマースの変遷から読み解く(1)

4月10日付のあるサイトの記事で、2015年にはソーシャルコマースの世界市場規模が2.5兆円になるというリサーチ結果を紹介していました。(もともとはROAHoldingsが2011年2月に発表したリサーチをもとにしたもののようです)

ECの未来はソーシャルに(東京IT新聞2012年4月10日)

FacebookやTwiteerといったソーシャルメディアをECに活用する「ソーシャルコマース」(2面右下に用語解説)が拡大しそうだ。日本では先月、国内最大のSNSを展開するミクシィがDeNAと共同で「mixiモール」を開始。Facebookを通じたEC展開も国内企業から各種ツールが相次いで提供されるなど、盛んとなる一方だ。世界市場で見ると現在は4100億円程度の規模だが、2015年には2.5兆円(300億ドル)となる予想も出ている。

一方、同じく4月10日付Yahoo!ニュース(東洋経済オンライン記事)では、ソーシャルコマースの難しさに言及する記事が掲載されていました。

ミクシィが新規参入、SNS通販は稼げるか(Yahoo!ニュース(東洋経済オンライン記事)2012年4月10日)

だが最近は、ソーシャルコマースの難しさも明らかになっている。米国ではアパレルのギャップや小売りのJCペニーなどがFB上の店を相次いで閉鎖した。ソーシャルメディアのコンサルティングを手掛けるエイベック研究所の武田隆社長は、その理由を「FBやミクシィは個人が社交する場所。企業がそこに土足で踏み込むことに抵抗感を持つユーザーは多い」と指摘する。

はじまったばかりの取り組みですので改善の余地はまだまだありそうですが、そもそもソーシャルコマースは、従来のEコマースと何が違うのでしょうか。Eコマースの変遷をたどりながら、Eコマースの本質について少し考えてみたいと思います。

大変長い記事であるため、複数回に分けてお送りいたします。



Eコマース黎明期

ダイヤルアップ回線でインターネットに接続していた時代、Eコマースは限られたユーザーに対する限定的なビジネスでした。Amazon(米国では1994年、日本では2000年事業開始)や楽天(1997年事業開始)もいまでこそ小売ビジネスで大きな存在感を示していますが、当時のEコマースはまだまだ黎明期というレベルでした。

当時のEコマースの利用者像は、インターネットユーザーそのものだったといえます。つまり、テクノロジーに詳しく、インターネットを使いこなすコアな層。また、インターネット回線の整備が大学を中心に進んだこともあり、大学関係者はインターネットに比較的慣れ親しんでいました。Eコマースは、まだビジネスとしても手探りだった状況で、当時のインターネットユーザー像である技術に詳しいマニアや大学関係者などが、店頭になかなか並んでいないような書籍やPC関連商品(ソフトウェアなど)を「指名買い」する場として発展してきました。

したがって、この時期のEコマースでは、一般のお店の店頭に並んでいないような専門的なものを取り揃えていることが成功要因でした。

Eコマース普及期

2000年前後にADSLによるブロードバンド接続が一般的になってきたことで、状況が一変します。インターネットに常時接続しておけるようになり、またユーザーインターフェースの改善、技術の進歩により、インターネットは家庭にあって当たり前のものとなります。

インターネットがリーチできる消費者のパイが広がったことで、Eコマースもより広いユーザーが利用するものとなりました。それに伴い、書籍やPC関連商品だけでなく、食品や飲料、日用雑貨といったものが購入されるようになり始めます。多くの企業がEコマースに参入し、たくさんの種類の商品が売買されるようになりました。

また、同じ2000年前後には、@cosume(1999年スタート)や価格.com(前身は1997年スタート、2000年から価格.comとしてスタート)などの口コミサイト、価格比較サイトが現れました。これらの口コミサイト、価格比較サイトは、ユーザーが情報を持ち寄って商品を横並びで比較することを可能にし、賢い消費者を誕生させることとなりました(いわゆる「プロシューマー」というもの)。また、同じ商品が複数のオンライン店舗で販売されているため、消費者は価格を比較して1円でも安いものを買うという消費行動をとるのが当たり前になりました。

このような状況下では、(1)できるだけ安い価格を提示すること、あるいは(2)価格競争を避けるために品ぞろえに工夫を凝らすこと(独占的に扱える商品を持つ、あるいは他が扱っていない商品を探し出して流行らせる)が重要な成功要因となりました。さらに、(3)集客や顧客のリテンションのためにDM等を使ったプロモーションを実施したり、(4)一人あたりの購入単価を上げるために顧客の情報をパーソナライズしレコメンデーションを表示する、などのプロモーション面での努力が必要とされるようになりました。

本日はここまで。

2012年4月11日水曜日

情報の「キュレーション」をうまく活用する

先日、レコメンデーションエンジンの限界とライフスタイル提案型ECの可能性という記事の中で、(一部で流行っている)「キュレーション」という言葉について触れました。

「キュレーション」とは、もともとは博物館や美術館等の施設において、収蔵品を鑑定、分類し、収集することを指します。しかし、昨今ネット上で使われる際の「キュレーション」という言葉は、正確には「デジタル・キュレーション」のことで、ネット上の情報を収集し、交通整理をして他の人に再配布する行為のことを指しています。

この行為の重要な点は、有名人ではなくとも、ある道について専門の知識を持った「普通の人」が、自分の知識を活かしてその恩恵を他の人に提供することができるという点です。

ここでいう知識とは、「ある分野に関する体系化された網羅的な情報群」ではなく、「情報に重軽や優先順位をつけたり、(一見何のつながりがないように見えても)情報間につながりを持たせ、その分野の本質をつかむための情報群」です。

本当にその道を極めるのでなければ、体系化された網羅的な情報は不要です。そもそも、人類が重ねてきた歴史を考えれば、どんなに分野を限定しても網羅することは不可能でしょう。しかし、武道を極めたい人が禅の精神を理解したいと願ったり、ビジネスを成功させたいと思う人が人生の指針として思想家の考え方を学びたいと考えるのは自然なことです。そのときに必要なのは、体系化された網羅的な情報ではなく、その分野の本質をつかむための情報です。

そういった意味で、ネット上に氾濫する情報を効率的に吸収するために、誰かがキュレートした情報を選別することは理にかなっています。

さらに言えば、「キュレーション」は情報の選別だけでなく、ビジネスの可能性を秘めています。

たとえば、下記に示す、糸井重里氏の「本のコンシェルジュ」い関する連続ツイートはその一例と言えるでしょう。「キュレーション」をどうビジネスに活かすかについては、もう少し詳しく考えたいので、またの機会に書きたいと思います。

2012年4月6日金曜日

「ひととなり消費」が必要とされる理由

昨日のポストで、「ひととなり消費」という言葉を使いました。一言でいえば、「その人が好きだから、信頼できるから、おススメの商品を買う消費スタイル」です。

私が「ひととなり消費」が必要になると考える理由は2つあります。

一つ目は、人々が選ぶことに疲れている、という点です。 日経ビジネスオンラインで、ダイソーの矢野博丈社長が次のように述べているのが印象的でした。

引用元:
「潰れる恐怖から店をオシャレにしました」 ザ・ダイソー矢野社長の“進化”(2012/4/3)
近年は、お客様は本当に変わられました。コンビニ現象とでも言うのですかね、今のお客様は、思ったものを思ったところでパッと買いたいのです。100円ショップは、アイテムをたくさん揃えて、宝探しのような楽しさを強調していましたが、今のお客様は、それが面倒臭いのです。選ぶ面倒臭さが、波のように押し寄せてきている。
情報の多様さ、商品・サービスの豊富さが、選択を難しくさせているのです。日常生活のピンからキリまで、どの瞬間にも判断と選択を求められる現代にあって、判断や選択は、自由や権利ではなく義務なのです。義務であれば、消費における判断と選択を、自分とセンスの近い人にゆだねてしまえば楽になる。そのような心理が働くのは想像に難くありません。

二つ目の理由は、「欲しいものがないから消費しないだけで、消費する理由があれば消費する余力はある」という点です。 たとえば、旅行。若者の旅行離れが報じられていますが、本当に若者が旅行したくなくなったのか。それは違います。もっと面白いものが旅行以外にあるから、旅行に行かなくなっているだけです。

引用元:
ツーリズム・マーケティング研究所レポート
「戦後60年のライフスタイル・価値観の変化と今後の旅行の行方」(2012/3)
かつて「旅行」は、誰もが得たいと思う夢の一つであり、他の消費を我慢しても手に入れたいものだった。消費の成熟化とともに、横並び意識もなくなり、各自の価値観で消費は選択されるようになっている現在、旅行は行きたい人が行く時代になっている。現に海外旅行へは行く人と行かない人とに二分され、行く人はリピーター化して、行かない人は全く行かない、というのが現状である。
一部の若者にとって「旅行」という商品は、無条件の魅力を感じるものではなくなり、消費したいと思わなくなった。それが若者の旅行離れにつながっているというわけです。

欲しいものがない、だけれども消費したい。そのような人に対して、売る側ができることは、「欲しいと思わせるような商品・サービスを企画・開発すること」「魅力を最大限に訴求すること」です。前者の「欲しいと思わせるような商品・サービスを企画・開発すること」はかなり難しい。なぜならば、売り手も消費者のニーズがわからないし、消費者自身ですら何が欲しいのかわかならないからです。もちろん、アップルのように、消費者のニーズではなく自分たちが売れるはずだと信じるものを作り世に送り出すことで、マーケットを作り出していくという方法もあるでしょう。しかし、リスクも高く、かなり強い信念がなければそれを突き通すのは難しい。そこで目を向けたいのが、「魅力を最大限に訴求すること」です。

「魅力を最大限に訴求すること」は、「いまいる顧客に対して訴求すること」と「これから顧客になるかも知れない人を発見し、その人に対して訴求すること」です。そして、「ひととなり消費」がうまく作用するのは、後者の「これから顧客になるかもしれない人を発見する」場面においてなのです。「友達の友達はみな友達」式に、自分が好きな人・信頼する人がおススメする商品・サービスならば信頼できる。そのようなネットワークが自社にとって有利に働くような状態を作り上げるために、多くの人に信頼してもらっている人を育成していくことが、「ひととなり消費」を攻略する鍵です。一番コントロールしやすいのは、売り手側の人間にソーシャルネットワークを使ってもらい、自由に活動させることで顧客の歓心を得ることでしょう。しかし、口コミやレビューのセミプロや、大きなネットワークを持っている、オピニオンリーダー的な人を、自社のネットワークにつなげていく方法を検討してみる、というのも手です。

様々なソーシャルメディアが乱立し、新たな機能の追加や既存機能の変更もめまぐるしく実施されている現状。企業にとっては、ソーシャルメディアを完璧に使いこなすことは難しいかもしれません。しかし、本質的に「ひととなり消費」を押さえていくのだということを意識することで、何をすべきで何をすべきではないのかが判断しやすくなるのではないでしょうか。

2012年4月5日木曜日

好きな人を信頼して買う「ひととなり」消費

昨日のポストでは、よりよい商品に出会うための「セレンディピティ(思いがけない出会い)」を実現する手段を下記の3つのタイプに分け、今後のECの可能性を3にあるということを書きました。

  1. レコメンデーションエンジン
    • ユーザーのサイト閲覧履歴・購入履歴をもとに、計算し生成されるアルゴリズムに基づくもの。
  2. ユーザーによるおすすめの提示
    • ユーザーが、一つのテーマに沿って、様々なジャンルの中から関連する商品・サービスなどを集め、編集して提示するもの。Amazonで言えば「リスト」にあたる。ECサイトがアフィリエイトに力をいれるのは、これを目的にしているから。
  3. ECサイトによるプロデュース
    • ECサイトの運営者が、様々なジャンルの中から関連する商品・サービスなどをピックアップし、適切な関連付けを行って提示する。ライフスタイルの提案型のサイトがこれにあたる。

今日は、3に関してもう少し詳しく見ていきたいと思います。

昨日のポストでも、事業者が商品のセレクトやプレゼンテーションを行う形式の販売方法は、従来型のものを売るビジネス、たとえば百貨店などが行ってきたことであることを述べました。メディアが流行を作り出し、それに事業者が乗っかる、というビジネスモデルもあります。たとえば、雑誌で「この春はちょい甘ミリタリー」などのキャッチコピーを作り、トレンドを生み出すことで、販売につなげるというやり方です。これは、販売者と商品のセレクト・プレゼンテーションの実施者は別の事業者ではありますが、消費者ではない事業者側が、何をどんな見せ方で売るのかをコントロールしているという点で、従来型のものを売るビジネスの一形態であるということができます。

このような従来型のビジネスモデルは、流行がマスで動いている時代には大変効率の良い方法でした。流行がわかればそれに乗っかればいいだけの話ですし、流行がわからなくても「女子高生にはルーズソックス」「男性にはスポーツカー」などのように、年代や性別、住んでいるところ、ある程度の趣味嗜好などがわかれば、何をどのように売るべきかがわかったからです。

しかし、みなさんもご存じのように、時代は変化し、消費の仕方もがらっと変わりました。

  • 消費者が情報を手にし、吟味して選ぶことができるようになった
  • 無名な商品・サービスでも、ソーシャルネットワークの力で急に人気商品・サービスになりうるようになった
  • テレビへの接触時間が減る一方、携帯電話やインターネットへの接触時間が延び、一律の流行を生み出すことが難しくなった
  • 不安定な経済情勢なども手伝い、望むと望まざると関係なく、「大学→就職→結婚→住宅購入→子育て...」のような一様なライフスタイルだけが是ではなくなった
つまり、マスという消費者の塊はもはや存在していないのです。ですから、商品やサービスを売る側やマスメディアが流行を作り出し、その流行に合わせていろいろなものをセットで販売していく方法は、コストを食う割に利益の少ない、割に合わない商売になってしまったわけです。

だからと言って、商品やサービスを売る側がなにもできないわけではありません。その鍵が「ソーシャルメディアの活用」です。

先日書いた記事「ソーシャルコマースの可能性」でも述べましたが、たくさんの人が「持ってる」「欲しい」ボタンを押したから売れる、というソーシャルメディアの使い方は、あまり意味がないように思います。先ほども述べたように、もはや消費者は「みんなが持っているから欲しい」という考え方をしないからです。

そこで私がおススメしたいのが、「ひととなり消費」です。「ひととなり消費」とは私の造語で、「その人が好きで、その人がおススメしているものだから買う」という消費スタイルです。たとえば、例として少し古いですが、アメリカのマーサ・スチュワートが有名です。彼女は、料理家としてキャリアをスタートさせ、料理だけでなく、園芸やクラフト、インテリアなど様々な分野でトータルなライフスタイルを提案し、事業としています。アメリカの主婦に大変な人気があり(現在は下火のようですが)、マーサ・スチュワートという人を好きで、彼女の提案する商品を買うという消費スタイルがあったようです。

マーサ・スチュワートほどになるともはや「ひととなり」という言葉は遠くなってしまいますが、彼女の事業が成功した時期と現在とで違うのは、ソーシャルネットワークの存在です。ソーシャルネットワークがあるからこそ、普通の人が「ライフスタイルを提案する」ことができます。それも簡単に。

ただただ、ソーシャルネットワークに「自分が好きな映画や音楽やスポーツについてコメントすること」と「日々の生活の中で気付いたこと」などのコンテンツを投稿すれば、ソーシャルネットワーク上に、その人の「ひととなり」が浮かび上がります。もしかしたら、時々その人と会って話をすること以上のことを、ソーシャルネットワーク上のコンテンツが語ることもあるかもしれません。ですので、商品やサービスを売る側がやることの第一段階は、ソーシャルネットワーク上でその人の「ひととなり」を知ってもらい、自分のライフスタイルとの近さや親しみを覚えてもらうことです。そして第二段階として、そういったコンテンツの投稿を継続しつつ、商品・サービスに関するおススメを並列に表示させていくのです。

この「ひととなり消費」にさらに一ひねり加えるならば、商品・サービスを売る側が、その売り子をソーシャルネットワーク上で育て、増やしていけばおもしろいでしょう。つまり、商品・サービスの専門家である「売り手」と、情報を全く持たない「一般消費者」の間の、商品・サービスに関して知識があり消費者にとって信頼性の高い口コミやレビューを書くことができる「プロ消費者(プロシューマー)」を、売り手が育てていくというアイデアです。現在も、口コミサイトやレビューサイトで、レビューワーの格付けがされていますが、その人たちを積極的に育て、売り手の側に引き込むのです。もちろん、レビューワーは公平な立場でなければなりませんので、一般の消費者に納得してもらえる形で公平性を担保する必要がありますが。

いかがでしょうか。「ひととなり消費」

2012年4月4日水曜日

レコメンデーションエンジンの限界とライフスタイル提案型ECの可能性

昨日の記事、ソーシャルコマースの可能性でも少しふれた、パーソナライズに関してもう少し触れておきたいと思います。

個人的に、Amazonの「この商品を買った方はこちらの商品も買っています」機能について、私はあまり信用していません。

たとえば、ビジネス書を買うとしましょう。何か1冊の本を選ぶとき、たいていはその本に対するレビューの内容を判断材料にして買います。もちろん、その本の下に「この商品を見た人は以下の商品もチェックしています」といくつか同じジャンルの他の本がレコメンドされていれば、それもチェックします。うまくいけば、もっとニーズに合った本が見つかるかもしれないからです。しかし、同一ジャンルの中で何冊も買うわけではありません。同じジャンルの本を何冊も買うより、そのジャンルの中で最も自分のニーズに合った本を買いたいのです。つまり、レコメンデーションは、購買促進要因というより、よりよい本に出会うための「セレンディピティ(思いがけない出会い)」を起こすための一手段だということです。

この、よりよい商品(上記の例では本)に出会うための「セレンディピティ」を実現する手段にはいろいろな種類があります。

  1. レコメンデーションエンジン
    • ユーザーのサイト閲覧履歴・購入履歴をもとに、計算し生成されるアルゴリズムに基づくもの。
  2. ユーザーによるおすすめの提示
    • ユーザーが、一つのテーマに沿って、様々なジャンルの中から関連する商品・サービスなどを集め、編集して提示するもの。Amazonで言えば「リスト」にあたる。ECサイトがアフィリエイトに力をいれるのは、これを目的にしているから。
  3. ECサイトによるプロデュース
    • ECサイトの運営者が、様々なジャンルの中から関連する商品・サービスなどをピックアップし、適切な関連付けを行って提示する。ライフスタイルの提案型のサイトがこれにあたる。

上記の1と2は、ECの世界ではあたりまえです。

3については、実は、昔からあるマスメディア主導型の流行発信や、百貨店によるブランド・商品のマーチャンダイズの延長として、様々な企業がチャレンジしてきた分野でした。しかしコンテンツの作りこみコストや目利きのできる人材の確保、投資対効果が得られないなどの問題から、Amazonや楽天のように1・2で成功しているサイトの規模と同規模の成功には至っていません。

しかし、より確かな筋の専門家やプロに近いヘビーユーザーがおススメする商品やそのセレクトは信頼性が高い。口コミサイトに人気が集まったり、All AboutOne Topiなどのように、ネット上の情報の集積をうまく交通整理をしてくれる人が必要とされているという事実は、間違いなく3の可能性を示しているものだと考えられます。

そういう意味では、ソーシャルコマースは、1・2に、3の要素を付加する手段ものです。

「いいね!」「持ってる!」「欲しい!」などのボタンを通じて、ユーザーは無意識的にレコメンデーションに寄与しています(1)。しかも、ユーザーのタイムラインやユーザーのプロフィールページを見れば、その人がおススメしたものを一覧することもできます(2)。さらに、従来のECサイトが持っていたサイト閲覧履歴・購入履歴データと、ユーザーのライフログが結合することで、ライフスタイルの分析が可能になるでしょう。SNSの提供する機能にもよりますが、ソーシャルネットワークの文脈にうまく溶け込ませる形でライフスタイルを提案しながら商品を紹介することができるようになるかもしれません(3)。

とはいえ、私は、3を実現するには「人」の力がもっともっと必要になると考えています。技術の進歩、ソーシャルメディアの進化が、2を3に近づけ、普通の人が専門家として3を実現する可能性が高まっていると考えます。一部で話題になっている、「キュレーション」というキーワードがその核になる考え方です。「キュレーション」については、またの機会に考えたいと思います。

2012年4月3日火曜日

ソーシャルコマースの可能性

最近「ソーシャルコマース」という言葉をよく見かけるようになりました。

ソーシャルコマースとは、SNSやブログなどのソーシャルメディアとECを組み合わせて販売を促進するマーケティング手法のこと。たとえば、私がTwitterで「熱海にいいホテルを見つけたよ!」とつぶやき、それを見た友人が実際にそのホテルに行く、というのもソーシャルコマースの一つと言えるでしょう。

そもそもソーシャルネットワークサービスは、人とつながることが目的のサービスです。人とつながるためには、まず自分が考えていることや興味を持っていることを明示し、それに対して他者が反応するという双方向のやり取りを、私たちは「人とつながっている」と感じています。しかし、しばしば誰も反応しないコンテンツがニュースフィールドやタイムラインを通過していきます。もちろん相手が何か興味をひかれるから、「いいね!」ボタンを押したりコメントを返したりするわけなので、反応がないコンテンツがあるのは当たり前のことなのですが、しばしば「相手の反応を期待せず、あくまで自己満足のために」何かをSNS上に公開することもあるのではないでしょうか。

これは、コンテンツを見せること(手段)がコミュニケーション(目的)を生むことを期待していない状態。自分のコンテンツを「コレクション」し、それを見せることが目的になっている。私は、消極的なSNSの活用方法として、「コレクションの展示の場」としてのSNS活用があると思っています。

たとえば

  • 私の行動をログとしてコレクションし、友達に共有する
  • 写真をアルバムにして友達と共有する(思い出を共有する、作品としてみせる)
  • 読んだ本、読みたい本をまるで本棚を見せ合うように共有する
  • 旅行を共有する
  • 自分が持っているもの、欲しいものを共有する
    • ⇒AmazonのWishList、myMuji

では、人はなぜ、インターネット上のソーシャルな場で、自らをコンテンツと化してコレクションを展示するのでしょうか。ソーシャルネットワーク上のコンテンツを、そのコンテンツ作成目的の観点で、私なりに5つに分類してみました。

  1. 自分の好きなもの・場所をお知らせすることで、興味の近い友人と盛り上がりたい
    • =人的ネットワークを活性化するための純粋な意味でのコンテンツ
  2. 自分が使ってみて/行ってみて、よかったもの/場所だからお勧めしたい
    • =自分の友人やネットワーク上の仲間に対するちょっとした親切心
  3. 自分が使ってみて/行ってみて、よかったもの/場所だから、その商品・サービス・お店を応援したい
    • =勝手なPR活動
  4. 自分が持っていること/行ったことを自慢したい
    • =モノやコトを通じて他者から認められたいという精神的渇望
  5. 自分が持っているもの/行ったもの全体を通じて、自分という人間の世界観を標榜したい
    • =モノやコトの選択の判断基準を通じて、自分という人間をわかってほしいという自己実現願望

多くの場合、一つのコンテンツは複数の目的を含んでいるためコンテンツを上記の目的できれいに分類することは不可能ですが、仮に上記の目的に「友人やネットワーク上の仲間が反応しやすい順」に順番を付けるとしたら

1>2≧3≧4>5 の順でになると思います。なぜならば、数字が若いほどコンテンツの目的が明確で、邪心(「すごいと言って欲しい」のような)がないため、友人にとっては反応してもトラップ(「余計なこと言っちゃうかも」のような)が少ないからです。

一方で、コンテンツの流通量で考えてみると、必ずしも1>2>3>4>5の順ではないように思われます。(自分も含め、私の友人のTwitterやFacebookを見ている限りは)「独り言」「自己満足」のためのコンテンツが意外と多い。要素的に、1や2が含まれていることはありますが、無意識のうちに、「自分」というものを表現し仲間に見てもらう場としてソーシャルネットワークを活用しているように見えるのです。もちろん、それに対して反応があることはありますが、決して反応を得ることを目的にコンテンツをさらしているわけではないのではないでしょうか。

そのように考えてみると、ソーシャルネットワークの中で活発に取り上げられるコンテンツを、Eコマースに結び付ければいいと安直に考えても、簡単に成功するわけではないように思えます。「ソーシャル」な「ネットワーク」といいながら、人々はかなり緩い状態でしかネットワークされていないわけですから。

とはいえ、ソーシャルネットワークをEコマースに結びつける仕組みは興味深いものがあります。個人的には、次のようなソーシャルコマースならば使ってみたいです。

  • ソーシャルネットワークから、他のECに誘導する安直なソーシャルコマースはイマイチ
  • MyMujiやMixiモールのように、ネットワーク上の人が「持っている」「ほしい」ボタンで盛り上がっていれば、それが売れるのでは?という発想もイマイチピンとこない(それならばそのサイトに閉じる必要はない)
  • もともと商品を買いたいと思っている人が集まる場で、自分のソーシャルネットワーク上の友人がその商品にどんなコメントを寄せているかが見られればいい(楽天やAmazonで、「あなたの友達の中でこの人たちがその商品を持っています」のように表示される仕組み)
  • 昔ながらの口コミサイトにソーシャルネットワークでの発言を表示する仕組み(その他大勢の人のレコメンドではなく身近な友人のレコメンドを表示数仕組み)も面白い
  • 商品のレコメンドを、プログラムで処理するのではなく、自分のソーシャルネットワーク上のコンテンツ(その商品だけでなく、もっと総合的にライフスタイルの観点から)分析して提示してくれると面白い

2012年4月2日月曜日

変革を恐れることなかれ

先週末、無事に最終出社を済ませ、送別会を開いていただきました。
幹事の方が気を利かせてくれて、職場の方だけでなく、すでに転職していた先輩方も送別会に呼んでいただいたおかげで、非常に懐かしい面々で一夜を過ごすことができました。本当に感謝です。

ところで、転職した方とお話をしていて感じたのは、先週末に私が辞めた企業だけでなく、多くの企業や日本社会全体が閉塞感につつまれているということです。そして、その原因に「変化に対する異常なまでの恐怖」があるように感じました。

製造業にしろサービス産業にしろ、過去の成功体験にしがみついていて、現実を直視できていません。市場の変化への対応速度が遅く、事業構造や戦略ドメインを変更し、今後の企業の予測図を立てスピード感を持ってしなやかに動いていくことができません。さらに、目先の利益やビジネス規模の拡大だけを追い求めて、長期的に顧客と付き合うことで、安定的に少しずつ顧客も自分たちも共に成長していくという発想がない。

このことは、総じて、
  • 視点が内向き(社内/国内)で、本来対峙すべき相手に向き合っていない
  • チャレンジを奨励する仕組み、失敗を許容する仕組みがない
  • 中長期的な視点で利益を評価するしくみになっていない
など、企業全体の「マインドの変革」が追い付いていないことが根本的な原因です。

市場がグローバル化する以前の、「追い付け、追い越せ」の時代であれば、会社が一致団結して、資源を集中的に投下し、事業を拡大していくことは正しいやり方だったのかもしれません。しかし、現在は違います。原材料の調達も、製品を生産する拠点も、人材の獲得も、販売の市場も、すべてがボーダーレスです。

もちろん、日本の企業もこれに倣い、生産拠点を移したり、海外での販売の比重を上げたりと様々な努力を重ねてきました。それは間違いなく事実です。ですが残念なことに、「変化に対する恐れ」を捨てきれず、「仕組みはグローバル、マインドはドメスティック」というねじれを起こしたまま、グローバル化の時代に突入しているといえます。

たとえば、断食の習慣のあるイスラム教徒向けに、タイマーをセットすれば冷蔵庫の庫内灯がつかないようにできる冷蔵庫を開発し、大ヒットさせた韓国企業。一方の日本の白物家電はどうなっているか。海外で安く生産する仕組みは、企業の生産現場の担当者が時間をかけて苦労に苦労を重ねて作り上げてきたことでしょう。しかし、市場をよく見ていれば、充実した機能はなくとも、本当に必要とされている機能と購入意欲を沸かせる価格があれば、新しい市場を開拓できたはずです。 これは、「つくれば売れる」「技術大国ニッポン」のマインドを変えることができなかったことによる、機会喪失の例です。
参考
グローバリゼーションの新潮流、求められるリーダーの「決断と実行」

たとえば、革新的な製品を生むことは、既存の製品を改善・改良することからのみ生まれるわけではありません。「靴下を履く感覚で履ける靴」をめざし、「パーツを縫製する」のではなく「靴全体をニットのように編む」という逆転の発想で背革新的なランニングシューズを完成させたナイキ。おそらく日本のスポーツメーカーは、いかにパーツを少なくするか、縫い目の強度を保ったまま軽量化するかという、既存製品のバージョンアップに腐心しており、ナイキの製品発表を見て驚いたに違いありません。
(ちなみに、靴を編む技術は日本の企業のものだとか。おかげで新興国に生産拠点を置かず、日本で雇用が生まれるそうです) こちらは、「いまある製品を疑うこともない」「カイゼンこそが命」というマインドが命取りになった例といえるでしょう。
参考
米国のナイキが取り戻し、ソニーが失ったもの画期的新製品「フライニット」が暗示する米国の復活(2012年3月30日)

日本人は、ずっと島国の中で、さらに言えば同じ共同体の中で繁栄してきた歴史を持っています。大陸の国のように常に他国からの侵略を恐れることなく、今あるコミュニティを維持することが比較的容易な国でした。逆に言えば、よそ者さえ排除できれば、自分たちの生活に破たんをきたすことはなかったのです。変化に柔軟に対応することよりも、今持っているものをよりよく変える。日本人が得意とする分野は、そのような分野なのかもしれません。

しかし、現状は待ったなしです。企業/社会が変革を実現していくことでしか、世界の中で生き残っていくすべはありません。そして、実は変革を促すのは個々人の力でもあります。自分の会社の中で、(経営陣やほかの事業部など自分以外の人が)提案した改革案を、自らの保身の思いから(たとえそれが無意識であったとしても)頭ごなしに否定していないか。今一度、自分に問い直す必要があります。

もう一度言います。個々人がリスクを取りながら、変革を望まない限り、どんなによい変革のためのプランが作成されても、それが組織に受容されることはありません。変革を望み、そのためにアクションし、正しい判断をしていくことが求められているのです。

リスクと向き合うのも、怖くないですよ。ご参考までに。

2012年3月29日木曜日

顧客の声を集めることで価格訴求型の商品の魅力を再発見する「サゲリク」

西友で実施されている、サゲリクというキャンペーンをご存知でしょうか。


13,000品目の商品の中から、顧客が値下げしてほしい商品をTwitterでつぶやく、という手軽なキャンペーンです。30以上のツイートが集まると、店舗で値下げ検討対象になるようです。(2012/3/28でキャンペーンは終了しましたが、一部の商品の値下げは継続されるようです)

このキャンペーンの面白いところは顧客の声をオープンな形で募集する形のキャンペーンでありながら、EDLP(毎日安売り)が売りの西友らしく、顧客の声の反映対象が「価格」であるという点です。

しかし、顧客の声を事業に反映させるやり方は、従来にも存在しています。

たとえば、かなり昔からあるサイトに空想生活というサイトがあります。

空想生活
http://www.cuusoo.com/about/

では、インターネットユーザーが自身の「こんなものがあったらいいのに」というアイデアを投稿し、そのアイデアに他のユーザーの投票を集めることでそれを商品化する企業とのマッチングを行います。投票数が多ければ多いほど企業にとっては魅力的なアイデアであり、仕様や価格面での交渉がしやすくなるわけです。

また、無印良品のくらしの良品研究所では、顧客の声をオープン化し、商品化への対応の様子を時々刻々と伝えています。

くらしの良品研究所
http://www.muji.net/lab/

くらしの良品研究所のサイトを見ていると、現在販売されている無印良品の商品に対する顧客の「こんな風に変えてほしい」の意見に、「検討中」「開発中」「ご報告」などの各ステータスで、無印良品がどのように取り組んでいるのかを表しているかがわかります。また、新たな商品を開発するときに、顧客の意見を聞く座談会を実施し、座談会への参加者を募ったり、座談会の様子、それが商品開発にどう反映されていくのか、工場の様子や実際に使った顧客の声などのレポートをのせているケースもあります。

空想生活にしろ無印良品にしろ、ポイントは、企業と顧客の間で顧客の声の収集および結果のフィードバックが、
  • 潜在的な顧客のニーズの掘り起し
  • 商品の魅力(機能性や付加価値)の醸成
  • 商品の開発・改良を物語化することによる商品の魅力の訴求力強化
など、いわゆる価格競争とは異なる効果を生み出しているという点です。
そして、顧客が自ら商品の開発・改良に力を貸すことで、
  • 顧客と企業/ブランドとの結びつきの強化
にもつながっています。

では、西友のサゲリクの場合はどうでしょうか。実は、サゲリクでも、顧客が価格決定に部分的に関与していることで顧客と商品(企業/ブランド)の結びつきが強化されているのではないか。私はそう考えています。

もともと食品や日用品は価格が購買要因の重要な位置を占める商品です。商品の愛着・忠誠心の強さがあっても、それと価格を天秤にかけたときに価格が勝ってしまうのがごく日常の世界です。しかしサゲリクでは、自分が欲しいと思った商品を値下げしてくれるのですから、価格の訴求力ではなく商品そのものの魅力や機能性が評価されて、値下げ要望につながるわけです。

そういった意味では、サゲリクでは、空想生活や無印良品とは異なる「価格」をキーにしながらも、
  • 商品に対する顧客の評価(商品が適切に顧客ニーズに対応しているかどうかの評価)の顕在化
  • メーカー主導で行われる価格コントロールにより見えにくくなっていた商品の魅力(機能性や付加価値)の再発見
  • 顧客同士が「なぜその商品を安くしてほしいのか」を共有しあうことによる、商品の魅力の訴求力強化
という効果を生み出しています。(これらの効果は、上記で空想生活および無印良品が企業と顧客の間で声を収集しフィードバックする仕組みの中で生み出す効果と対応していることに注意してください)

さらに、サゲリクで自分が気に入っている商品に投票し、それが30票以上獲得すれば値下げされる可能性があるのです。西友に行って買わない理由がありません。そのような意味で、
  • 顧客と企業/ブランドとの結びつきの強化(「そのお店で買う」ことに対する忠誠度の強化)
も実現していることになります。

西友のサゲリクが表すことは何か。 それは、「価格訴求型」の商品・サービスであっても、顧客の声を集めることによって、間接的に商品の魅力を明らかにすることができるということです。

インターネットにより複数の店の価格が比較されそれが価格競争の激化を招いているわけですが、これは商品の魅力がうまく伝わっていなかったり、顧客のニーズに対し商品のスペックが高すぎて価格にそれが反映されていることの裏返しとも言えます。顧客の声をうまく活用することで、顧客のニーズを適正に反映した、適正な価格の商品を作り出すことができるのではないでしょうか。

2012年3月26日月曜日

「正直は最大の戦略」がこれからのビジネス/日本を変える

「正直は最大の戦略である」ことを信じられますか?

一般に、「正直者はバカをみる」ということが信じられています。
しかし、社会心理学の分野で「正直者の方が人に騙されにくく、結果的に得をする」という研究結果が出ていることをご存知でしょうか。

この「信頼」に関する研究を長年続けてこられたのが、山岸俊男先生です。

ほぼ日刊イトイ新聞(以下「ほぼ日」と表記)で山岸先生と糸井重里氏と高校生を交えて対談を行っています。

引用元:
ほぼ日刊イトイ新聞ー「しがらみ」を「科学」してみた

この中で、糸井氏は次のように述べています。

「正直は最大の戦略である」んです。

これを実感したというできごととして、ほぼ日手帳の製造・販売の話をしています。
ほぼ日手帳を作り始めて1年目、すでに販売(当時は通販のみ)が終わった時に、製造メーカーの担当者から「手帳を毎日使っていたらバラける可能性がある」ことを聞かされた糸井氏。そこで「翌年から改善すればいいや」と思わないのが正直者の戦略。もう一冊作って、すべてのお客様に新しい手帳をもう一冊届けたそうです。

結果的に言ったら「バラけるかもしれない」と言われた初期の手帳は、問題なく使えたケースが大半だったようです。 だから、ぼくたちがあとから届けた1冊が余ってしまったので、みなさん、まわりの人にプレゼントしてくれたりしたみたいなんです。そのことが、まだ1年目だったぼくらの手帳を「売れた人数の倍の人」に、知っていただけるきっかけになったんです。

普通の企業であれば「来年からでいいや」と考えてしまうところです。しかしほぼ日は「正直は最大の戦略である」という信念のもと、利益に反することをやって、結果的にビジネスが成功した例といえます。

顧客や市場を信頼し、「正直さ」「誠実さ」を信条に腹をくくってビジネスをするというのは、簡単ではありません。相手の顔が見えれば信頼に値する相手かどうかも判断できるかもしれませんが、すべての顧客に対して信頼性を判断することは不可能です。さらに、企業と顧客、あるいは顧客同士が、ネットワークで双方向でやり取りすることができる時代です。ちょっとした悪評が、企業に大きなダメージを与えることもありえます。したがって、顧客や市場を信頼するということは、理想ではあるけれどもリスクの高い態度であると考えられるのです。

しかし私は、それでもなお、顧客や市場を信頼し、「誠実で」「正直な」態度で事業を行うことが、長期的に見て企業にとってプラスをもたらすと考えます。その根拠となるのが、山岸先生の「信頼」に関する社会心理実験です。

山岸先生はご自身の研究の中で、社会心理実験を通じて日本とアメリカを比較し、信頼と社会の関係を解き明かしています。
一般に「日本は安全で安心な国」であり「アメリカは個人主義でハイリスク・ハイリターンの国」と信じられていますが、山岸先生の説を簡単に説明すると、日本は
  • 安心な関係性の中で暮らしていける
    • ⇒安心な関係性を守るためによそ者を共同体に入れない(ムラ社会)
      • ⇒閉じた関係性の中でのみ取引をする
        • もしかしたらもっとよい取引条件が外の世界にあるかもしれないのに、高いコストを払って閉じた関係性の中で取引をする
        • 「だれを信頼するか/誰を疑うか」というスキルが磨かれない
          • ⇒騙されないように安心な信頼関係の中でしか人間関係を作らない
というスパイラルに陥っている国だとしています。 さらに、そもそも社会構造が「失敗を許さない(=終身雇用のレールから外れると社会に戻るのが、結婚に失敗した人を「バツイチ」と呼ぶ)」ようになっていると指摘しています。その結果として、グローバルな競争にさらされ、終身雇用が崩壊する時代に合って、日本の社会システム自体が高リスクなシステムになっているというのです。 逆にアメリカは、
  • 共同体が開かれていて
  • 広いネットワークの中で取引をする国であり
  • 失敗してもまたチャレンジすればいい、というスタンス
という国だということが、社会心理実験によって証明されているとしています。 (詳しくは、上掲のほぼ日の記事および山岸先生の著作を読んでください。下記の本が読みやすくおススメです。)
山岸先生の研究の通りであれば、私たちは高リスクでリターンの望みが薄い社会の中で、息苦しい思いをしながら生きていることになります。これを逃れるすべはないのか?

山岸先生は著作の中で社会の仕組みを変革する必要を説いていますが、私はそれに加えて、企業側の姿勢も変わるべきだと考えています。つまり、企業が自ら「誠実で」「正直な」態度で事業を行うことが必要だということです。さらに踏み込んで言えば、個人のレベルでリスクと向き合いながら他者を信頼し、社会と関わっていく人が増えていけば、日本の息苦しさを押し下げることができるかもしれません。

「先ず隗より始めよ」。「誠実で」「正直な」新しいビジネスを自分が実現することで、息苦しい社会にひとそよぎの風を送り込む。それが私の目標です。

2012年3月23日金曜日

スマートTVアプリって本当に必要なの?

日経新聞電子版で、元グーグル日本法人社長兼米本社副社長の村上憲郎氏が、スマートTVアプリの理想型として、次の3つのタイプを挙げていました。(注:原文は文章で3つのポイントがあげられていたが、見やすくするため文章から箇条書きに書き直した。)

視聴者は「わがまま」、スマートTV時代 アプリが縦横無尽な視聴を支える(2012/3/6)

  • シナリオ完結型
      例えば、「ローマの休日」を軸にした場合を想定してみよう。映画の進行を追いながら、適宜、ヘップバーンとグレゴリー・ペックという2人の俳優に関するコンテンツ、ウイリアム・ワイラー監督に関するコンテンツ、舞台となったローマに関するコンテンツ、などなどが、断片コンテンツとして予め決められた順序・長さによって提示される。
  • 質問応答型
      「シナリオ完結型」のいかなる所でも、視聴者が割り込んで質問ができ、それに答える様々なコンテンツが提示される。
  • SNS連携型
      さらにその上に、蓄積されたレコメンデーション(お薦めデータ)に基づいて、提示するコンテンツが徐々に変更して提示される。タイムライン(時系列)としてコメントが流れ、それに反応して、提示コンテンツが劇的に変わることもある。


  • 分類としてはとてもわかりやすい分類です。しかし、スマートTVアプリは本当に必要なのでしょうか?

    質問応答型はかなり成立しうる路線でしょう。しかし、現状でも番組にFAXやE-mail、Twitterを連動させる番組はいくつもありますし、デジタル対応テレビであればデータ放送で双方向のやり取りができます。あえてスマートTVと銘打って、テレビとアプリを融合させる必要性はありません。

    SNS連携型は、テレビ局などの既存のマスメディアより新興のコンテンツ配信事業者の方が向いているのは言うまでもありません。

    日本に上陸した緑の黒船「Hulu」の“真価”(2011/9/8)
    何でも、最初は友だちに勧められたドラマを1つ、試しにフルで見てみた。すると「この番組を見た人は、他にこんなものを見ています」というオススメが表示される。リンクをクリックするだけで無料ですぐに見られるので、気軽にお試しできる。それを次々と見ていくうちに、いくつかが気に入り、続けて見るようになった。

    Huluなどのサービスでは、FacebookやTwitterなど既存のソーシャルメディアをフル活用しています。それも、リビングにあるテレビではなくパソコンやiPad、iPhoneなどのモバイルデバイスで見ることが既定路線だから相性がいいのです。見終わったら、次のタイトルへのクリックへのリンクとともに「いいね!」ボタンが表示される。逆に、友達のFacebookのウォールやタイムラインを見ていると、友達がお勧めしているコンテンツへのリンクがあり、そこからすぐにコンテンツにアクセスできる。

    これがテレビの場合、そうはいきません。テレビに「いいね!」ボタンがあっても、テレビと「いいね!」ボタンをいったりきたりすることになっていまい、視聴者の集中を損ねてしまいます。テレビの大画面でFacebookを見るのは意外とつらいので、Facebookからコンテンツへの導線は見込めません。
    とはいえ、日テレなどは、Facebookと番組の連動を試みているようです。どんなものになるのか、楽しみであります。

    日テレ、Facebookとテレビを融合させた新視聴体験「JoiNTV」実証実験へ

    さて、最後になりましたが、シナリオ完結型。これについてはテレビはこれまでにもかなり取り組んできています。番組のグッズ化、映画化、スピンオフストーリー、番組から派生した歌手など。成功したビジネスモデルだけに、スマートTVアプリにした場合に、さらにその効果をアップできるのかが気になります。

    その場合の問題はやはり動線です。コンテンツの視聴を中断させることなく(視聴者の興味を引きつけたまま)いかに、周辺消費に結びつけるか、その動線をどう設計するかにかかっているといえます。もともと消費者がそのコンテンツを溺愛している場合はよいのです。すでに消費者との間で、強い結びつきができていて、企業がそれほど手をかけなくても、少し便利なポータル(コンテンツとその周辺消費への入り口を一箇所にまとめたもの。例えば、番組オフィシャルサイトなど)を設ければ、消費者は自分からそれを探し求め、周辺消費に行き着くからです。問題は、AIDMAでいうところのAIで終わっている消費者をどう取り込むかです。

    注:AIDMAとは、広告宣伝に対する消費者の心理のプロセスを示した略語。A:Attention(注意)、I:Interest(関心)、D:Desire(欲求)、M:Memory(記憶)、A:Action(行動)

    どんなにプロモーションをしても周知される範囲に限度があるのは、これまでの取り組みで十分わかっています。結局は、コンテンツの質を上げて、視聴者にコンテンツを好きになってもらうしかないでしょう。
    しかし、さまざまな手法がやり尽くされた感があるのは周知の事実で、これ以上質を高めることなど困難です。ではどうするのか。

    一つは、一コンテンツあたりの制作コストを下げ、受け入れられる消費者の数が少なくても収益があげられるような構造に変えること。そして二つ目は、大多数に受け入れられるコンセプト作りを諦め、大胆な顧客の絞り込みをすることです。顧客層が断片化している(顧客のセグメントが小さくなっている)時代にあって、マスを相手にミリオンヒットを目指すのは危険です。狙うべき顧客を絞り込み、その人たちにだけ熱狂的に受け入れられるコンテンツを作る。そうすれば、プロモーションで無駄な弾をうたなくても、導線の設計に悩まなくてもいいわけです。

    一つ一つ検証してきましたが、スマートTVアプリで収益を最大化するのは小手先の手段です。
    テレビにとってのライバルは、他のテレビ局ではなく、無料動画サイトや有料コンテンツ配信事業者、ソーシャルメディアを含むインターネットそのものです。スマートTVアプリなどという小手先の手段は通用しません。過去の成功体験を捨て、顧客層が断片化しているという今の状況を真摯に受け止め、それに合ったビジネスモデルにシフトすることを考えるべきではないでしょうか。

    2012年3月18日日曜日

    音楽ビジネスの変化に見る「誠実さ」の拡大

    私は田舎育ちなので、中高生のときには好きなミュージシャンが地元までライブに来なかったりして残念に思ったことがあります。なので、中高生の私にとって、音楽を楽しむことは、CD(しかもレンタル)か、テレビの音楽番組でした。(ラジオという人もいると思うが、夜更かしできない体質なのでラジオにはなじみがなかった)

    時は変わって、数十年後。
    現在首都圏に在住し、ライブに行き放題。CDも買い放題。中高生のころよりもずっと音楽を聴いている時間が長くなりました。さらに、自分がビジネスの仕組みを考える仕事をしていることもあり、(自分の懐には一銭も入らないけれど)音楽ビジネスについてあれこれ推察することも多くなりました。

    iTunesや着うたなどの音楽ダウンロードビジネスのあおりを受け、CDの売り上げが落ちているのは有名な話。また、夏フェスなどの音楽イベントも数えきれないほど開催されています(私もよく参加してます)。さらに、ブログやTwitter、Facebookなどのソーシャルメディアを使ってミュージシャン自身がプロモーションまで行う時代です。

    顕著な例は、レディー・ガガでしょう。

    さて、CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)の観点から、ミュージシャンのソーシャルメディアの活用を考察してみると、
    1. ミュージシャン自身の言葉でメッセージを伝えることによるブランドの強化
    2. ライブ情報やメディア露出情報など情報発信一元化による顧客利便性強化
    3. 関係性(エンゲージメント)の強化・維持(例:Twitterでフォローしてもらったり、Facebookの本人書き込みを見ると近しく感じることができる)
    4. オンラインショッピングによる直接的な収益化
    などが主な目的ではないかと考えられます。 上記で紹介した、レディー・ガガに学ぶソーシャルメディア活用最前線では、ミュージシャンの収入源がCDだけでなく、様々な範囲に及んでいることが述べられています。
    このショップ(筆者注:レディー・ガガオフィシャルサイトのこと)では,ハイチ援助Tシャツ以外にも多様なLADY GAGAグッズが販売されている。さまざまなデザインのTシャツや音楽ダウンロード,ポスター,ステッカーなどにはじまり,サングラス,ヘッドフォン,フードパーカー,はてはノートやフォルダーまでがカバーされている。音楽ビジネスは,デジタル時代の到来とともに,アーティストや音楽を広告塔にして,派生するイベントや物販に事業比重を移行しているが,まさにその一端がうかがえるストアと言えよう。
    ご存知のように、CDの売り上げが減少する中、音楽業界にとってCDは唯一の商品ではなくなっています。音楽はコンテンツであり、それを中心として、CD(あるいはダウンロードしたもの)を聴いたり、グッズを買ったり、ライブに行ったりすることにより、ミュージシャンとそのファンという関係性を体験すること(その結果としてミュージシャンに収入をもたらす)が、音楽ビジネスの全体像になっているわけです。 ここで重要なのは、ミュージシャンと消費者が直接つながることによって従来レコード会社をはじめとする企業が担っていた中間流通機能が不要となり、次にあげるような、ミュージシャンをとりまくビジネスのマネジメントを、ミュージシャン自身がコントロールすることができるようになるということです。
    • ミュージシャンから消費者への情報の提供
    • ブランド(どのようなミュージシャンとして消費者に認知してほしいか)のコントロール
    • 商品(音楽、ライブなどのイベントチケット、グッズなどすべて)の提供
    • 顧客からミュージシャンへの、商品に対するフィードバックの提供
    私に考えるに、ミュージシャンと消費者が直接つながる時代においては、既存の音楽業界のビジネスモデルではなく、よりミュージシャンが消費者と強い信頼関係で結ばれたビジネスとして成立していくようになるのではないでしょうか。 どういうことかというと、
    • ミュージシャンがロングテール化する(売り上げの上位のミュージシャンが売り上げのほとんどを占める市場ではなく、売り上げがそこそこのミュージシャンから零細ミュージシャン(という言い方がいいかは別として)までが存在しうる市場になる)
    • ミュージシャンの収入源が多様化しCDの売り上げが相対的に下がることで、ミュージシャンとレコード会社の力関係が変わる(過去においてはミュージシャンがプロモーションの委託と引き換えにレコード会社に依存しなければならなかったが、レコード会社への依存度が下がる)
      • 結果的にミュージシャンの創作の自由度が広がる(必ずミリオンを目指さなくても、自分の感性と合う消費者にだけ聞いてもらえばいい)
      • 市場に出回る音楽の多様性がさらに高まる
      • ミュージシャンが過度な商業主義を意識しなくてよくなり、顧客に対して誠実なモノづくり(この場合音楽)を提供できるようになる
        • 零細ミュージシャンがさらに成立しやすくなる・・・
    • ミュージシャンが自分の顧客を囲い込まなくてもよくなる(ミリオンを目指さなくてよいので無理にパイを拡大する必要はなく、既存顧客の維持でよい)
      • 自分の顧客に、ほかのミュージシャンをお勧めしやすくなる
        • 同じジャンルの中で、ミュージシャンがミュージシャンをお勧めしあうことで、市場が拡大する(顧客が複数のミュージシャンを支持するようになるから)
    • 結果的に、ミュージシャンが自分という商品を中心にしたビジネスのマネジメントをしやすくなり、レコード会社等の既存の音楽ビジネスの中心的企業が収益を上げにくくなる
    というスパイラルによって市場が推移していくということです。 昔から、ミュージシャンにとっては「クリエイティビティ」と「コマーシャリズム」の葛藤は絶えなかったことでしょう。しかし、ミリオンを目指すという重荷を下ろすことで過度な商業主義に強いられる必要がなくなり、創作の自由度をあげることができるようになったのではないでしょうか。 このことは、ミュージシャンが消費者に対して「誠実な態度」で「自信を持った作品」を提供することができるようになったということです。 この、「誠実」というキーワード。私にとって、いまとても大切なキーワードとなっています。なぜ大切かについては、今後書いていきたいと思います。

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    2012/3/26追記 ミュージシャンがマネタイズすることについて、アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さんがTwitterで次のようにつぶやいていました。 ビジネスの規模が大きくなると自分でコントロールが難しくなるのは当然ですから、必ずしもミュージシャン自身がマネジメントしなければならないということではないと思います。しかし、ミリオンヒットがとめどなく生まれてレコード会社が大きな顔をしていた時代ではなくなったことで、メジャーでやるミュージシャンも活動の自由が広がったのではないかと思います。

    2012年3月17日土曜日

    できないと嘆くよりできるように計画する-個人が会社を変えることはできるか?2

    先日、個人が会社を変えることはできるか?という記事を書いたところ、思いのほかたくさんの方からコメントをいただいたので少し続きを書いてみようと思います。

    そもそも、前回の記事でも書きましたが、私の考えでは「個人が会社を変えることは限定的に可能」です。「限定的」というのは、次の2つのケースであればありうる、ということです。

    A)自分が経営者になる
    B)自分が影響の及ぼすことのできるサイズの規模の組織を作る/見つける(=大企業から離れる)

    Facebookでコメントを寄せてくださった方には、どちらのタイプの方もいらっしゃいました。
    自分が経営者となって、会社を変えた人。
    いま、まさに、自分の権限やできることと比較して、影響を及ぼせる範囲が広すぎる組織(大企業とか)に属していてA/Bいずれの選択肢もとれず(そもそもどちらかを取らなければならないわけではないですから、選択を強要する必要はないのですが)課題に悩んでいる人。
    今の組織で、A/Bいずれの選択肢もとることができず、組織を離れようとしている人。

    また、コメントをいただいた方には

    C)ボトムアップ的に多くの人を巻き込みながら、経営層(組織の長)に働きかける

    という選択肢もありうるのではないか、というご意見もありました。

    この指摘は、実現するかどうか半々、というところではないかと思います。

    ポジティブにみると、意識の高い人・スキルの高い人が集まって、そこで情報を出し合い、互いに自己研鑚するという意味は多いにあると思います。もしトップマネジメントに志が高い人がいるなら(または、志が高い人が将来的にトップマネジメントに食い込むことができれば)、その人を巻き込んで、改めて改革の条件を揃えてもらうということは可能かもしれない。偉くて意識の高い人は、志があってスキルの高い若手スタッフを必要としていますから、すでにそういった人材が社内でボトムアップ的に育成されているとなれば、改革のスピードが上がるかもしれません。

    ネガティブにみると、2つの点で難しいポイントがあると思います。
    まず一つは、そもそも志の高いトップマネジメントがいない(将来的にも生まれる可能性が低い)可能性。特に、大企業病にかかっている場合、人材の採用や人事考課の基準自体に問題があることが多いので、トップマネジメントになる人が会社を変える人材になりうるか疑問です。Facebookでのコメントで「トップも含め『変化』を求めていない人に、変革を説いても受け入れられない」ということをポストしてくださった方がいましたが、まずは今の経営層が問題意識を持って変革を渇望し、変革を実現するための人材を抜擢するという特別な人事考課をしない限り、変革を実現する経営層が生まれる可能性は低いです。ここでキーとなるのは、「変革を渇望する」「抜擢」が、不退転の覚悟であること。ちょっと周囲に反対されたくらいで、抜擢された人の梯子を外してしまうようなことをしたら終わりです。最後まで味方をしなければなりません。
    このように、もし経営層に変革の意思がない場合、仮にボトムアップ的に志の高い人・スキルの高い人が集まっても内輪のサークルどまりになる可能性が高い。

    二つ目は、ボトムアップ的に変革をしていく場合、まず最初に変革の対象となるのは、変革者(変革者のグループ)が影響を及ぼすことができる組織の範囲であるということです。つまり、まず手を付けられるのは、会社全体ではなく会社の中の一部の組織になります。この場合、解決できる課題が限定的になってしまう、というのがポイントです。
    そもそも、およそ「課題」というのは部門横断的なもので、自分たちの組織だけで完結して解決できる課題には限界があります。
    たとえば、自分が営業の現場にいて、「顧客から納品の期日が守られないというクレームが来る」という問題が起きていたとします。その場合、営業部の中だけでその問題を解決しようとした場合、「営業が契約後のフォローを強化する」あたりが妥当な解決策でしょう。しかし、実際にクレームが劇的に減少するかというとそうではないでしょう。生産や調達など、もっと企業活動の上流工程から問題は起きているからです。需要(=営業が受注する)と供給(=生産)のミスマッチ、そもそも営業計画がおおざっぱすぎて、生産計画が立てられないから精緻な予測ができない、生産計画がころころ変わるので調達が追い付かない、など部門を超えて、課題が複合的に絡まりあっていることが、「納期遅れ」の原因になっているわけです。
    問題を「根本的に」解決するためには、組織横断が欠かせないのです。ですので大企業の改革というのは難しく、よほど経営層がコミットして、トップダウンで実行していかない限り難しいわけです。
    (もちろん、小さな組織で実現したことを実績として、少しずつ範囲を広げていく、というやり方もないわけではないと思いますが)

    上述の2つの要素から、

    C)ボトムアップ的に多くの人を巻き込みながら、経営層(組織の長)に働きかける

    については、実現度合いは半々である、というのが私の考えです。

    ここまでは、会社(あるいは組織)論として、どうすれば会社が変わるかという話。
    ここからは、個人のキャリアとして、どうあるべきかという話です。
    個人のキャリアとして考えた場合、A/B/Cいずれの選択肢を選ぼうとも、個人がどう動いて自分の外の世界に少しでも影響を及ぼすことができるかということが重要です。そもそも、会社を変えたいという思いは、自分が希望の持てる仕事をしたいという願望ではないかと思います。仕事に誇りを持っているから、その仕事の質をあげ、成果を出していきたいから、会社を変えたいと思うわけですよね。そうであるならば、理想を思い、こういう会社だったらいいなと語らっているだけでは何も変わりません。もし、会社を変えたいと思うなら、個人のキャリアを充実させることの一環として、自分の仕事にまい進するだけでなく、会社の変革に向けて実際にアクションをとっていくことが必要になるわけです。
    そのためには、いかによい理想があったとしても、それを具体化し、次にどのアクションを取るべきかというレベルにまでタスクを細分化しなければなりません。誰が、いつまでに、何を、誰と決めておくのか。このタスクを実行する前提として終わらせておくタスクは何かを、しつこいくらいに、くわしく洗い出すことが大事です。

    小さな一歩でも、歩みだすことが大事。自分が影響を及ぼすことができる範囲が小さくても、はじめは構わないと思います。継続していれば、少しずつ賛同者が増えることで、何かが変わるかもしれませんから。そういう意味では、上述で選択肢Cを半分だけ否定してしまいましたが、取り組むことに意義がないわけではありません。活動が実を結ぶように、経営層の巻き込みにつなげることを意識し続けることが重要だというだけです。
    ちなみに、私自身は、Bの選択肢を選びました。少し充電期間をおき、小さくても自分が影響を及ぼすことができる範囲の組織を見つける/作ることをめざしています。このブログもその一歩です。

    余談。
    Facebookでいただいたコメントなのですが、「仮に自社が変革したとしても、顧客には受け入れられないのではないか」。
    これは、変革は変革でも、少し取り扱いが異なる種類の問題です。
    課題を洗い出し、その対応策を考えるときに、課題と対応策に優先順位を付けることがあります。優先順位の付け方は、いくつか視点があるのですが、その一つに「自分たちでコントロール可能か」という視点のがあります。
    コントロールが難しいものの例としては「法律」「顧客企業のビジネスプロセス」などです。
    たとえば、バックリベートが発生するような業態の世界について考えてみましょう。バックリベートはコントロールが難しく、自社にとってお得意さんである顧客や自社にとって優位性の高い商品ではないのに、高いバックリベートが支払われていたりすることがあります。できれば、重点顧客とそうでない顧客に軽重をつけたり、商品別の損益をわかりにくくするバックリベート方式ではなく製品価格の見直しなどの方法によって、利益を最大化したいですよね。
    仮に、自社で「バックリベートを廃止して適正な値付けに一本化する」という対応策を考え、製造・営業が一体となってその問題に取り組むことにしましょう。しかし、顧客企業のビジネスプロセスはコントロールが難しいため、顧客からは引き続きバックリベートを要求されるケースがあります。
    そのような場合、自社の状況によって、対応策の優先度や、対応策自体に変更を考えなければなりません。
    仮に、自社が市場で高いシェアを持っており、その顧客が重要顧客ではない場合、「バックリベートを要求する顧客とは取引をしない」という判断をし、バックリベートを廃止しても適正な値付けで収益性を上げることができるでしょう。
    逆に、顧客が圧倒的な購買力を持っている場合、「バックリベートを廃止しない(=バックリベートの適正な管理という対応策に変更する)」という判断が求められるわけです。
    というわけで、「顧客が変革についてきてくれないのでは?」という問題は、自社でコントロールが難しいものの一つであるため、対応策自体の検討で対応できると思います。

    2012年3月15日木曜日

    個人が会社を変えることは可能か?

    先日、脳科学者の茂木健一郎氏がツイッターで、以下のようなことをつぶやいていました。

    引用元:
    「茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第534回「批判はいいけれど、自分の身体を張った現場感覚も必要だよね」」

    ツイッターのTLを見ていると、舌鋒鋭く批判している人がたくさんいるけれども、自分たちはどうかと振り返ってみることはあるのかな。批評家で済むのは日本の風土で、アメリカだったら、「お前やってみろよ」と言われる。日本のかくも長き停滞は、そのあたりに原因があるのかもしれません。

    しかし、その後、フォロワーからの問いかけに対しに対し、以下のような返信もしています。

    確かにそれもあるね。→批判したらやらせてもらえるチャンスがあるのがアメリカ。批判すると蓋をされて追いやられるのが日本。その差では?

    奇しくも、先日大手メーカーに勤める友人と話をしていて、同じような話を聞きました。
    社内でなにかを提案しようとすると、なにかにつけて「じゃあ裏付けをもってこい」と言われてる。
    裏付けといっても、データの収集は容易ではありません。
    誰もなしえなかったことだったり、あるいは実践しても外に出したくないノウハウだから、世の中に情報やデータがおいそれとあるわけはないのです。
    なかなか裏付けが集められないと「あいつは口ばっかりで使えない」とまですら言われて、あまつさえ提案をやらせてもらえずモチベーションが下がっているのに、その上マイナス評価。
    それはだれも提案しなくなるのは当たり前。
    私がいくつかの企業とお仕事をさせていただいた経験からいうと、それは友人の会社に限ったことではないと思います。

    私が、前の会社を辞めたのは、同じように会社を変えることの難しさをひしひしと感じたからです。
    新卒で入社した会社は大手メーカーでした。
    新人の私の目から見ても、私が所属していた組織は業績を伸ばすどころか維持することすらできず、疲弊していました。
    大企業ですから、やりかたはまどろっこしく保守的です。
    新人で生意気だった私としては、おかしいと声を大にして叫ぶわけですが、なにしろどうしたら課題を解決できるのか、その手段がわからない。
    そもそもその課題は根本的な課題なのか、それを改善すればすべてがうまくいくようになるのかがわからない。
    周りを見渡しても、製品・サービスのプロはいても、組織を変える方法を知っている人はいません。

    私は、コンサルティングファームに転職し、そこで、いくつものプロジェクトに携わりました。
    正しい課題抽出の仕方、その課題に対するソリューションの導き方、実践にあたって周囲の人を巻き込むマネジメントのあり方、異なる考え方を持った人とのディスカッションを有効にまとめ上げるための手腕。
    私がコンサルティングファームで学んだことは、まさに会社を変えるためのフルパッケージであったと言えます。

    とはいえ、個人のレベルで巻き込むことができる範囲はたかが知れているのが現実です。
    どんなに高度なスキルを身につけても、個人が会社を変えることは容易ではありません。
    そもそも、会社や特定の組織において個人がとりうる立場は、
    トップダウン:経営層(あるいはある程度の規模の組織の長)になって、自分の裁量で改革を実行する。
    ボトムアップ:自分自身がスキルアップして(上記の4を身につけて)、自分の影響を及ぼすことができる範囲から手をつける
    のいずれかです。

    さらに私個人の経験から言えば、改革がうまくいくための条件として
    1)組織横断的な専任の改革担当部門を設け、現場レベルの担当者から経営層までを巻き込んだ仕組みにすること。
    2)責任の所在を明確にし、経営層のコミットメントを確約すること。
    3)人材の確保を含め、必要な投資を惜しまないこと。
    4)必要なスキルを持った人材を投入すること。(内部調達でも外部調達(=コンサルティングファーム等)でも構わない)
    などが必須であるように思います。
    この成功の条件をそろえるためには、大企業の場合、トップダウンアプローチでなければ困難でしょう。
    (ボトムアップ的に組織のピラミッドの下層の人間が、「周囲の人間の巻き込み」「組織横断的」「コミットメント」などの条件を揃えられるべくもありませんから。)
    これが、ある程度組織のサイズが小さくなってくると、自分が4の条件さえ満たせば個人レベルでも会社を変えることは可能です。
    自分の影響を及ぼすことができる範囲と会社(組織)の規模がニアリーイコールだからです。

    したがって、タイトルにあるように、「個人が会社を変えることは可能か?」という問いに対しては、「限定的に可能」というのが結論です。
    つまり、次の2つの選択肢のいずれか、です。
    A)大企業で粘って自分が経営者になる
    B)自分が影響の及ぼすことのできるサイズの規模の組織を作る/見つける(=大企業から離れる)

    私は結局、選択肢Bを選ぼうとしています。
    新卒で入社した会社を辞め、コンサルティングファームに転職することを決意した日の「会社を変えたい」という思い。
    選択肢Aを選んで、ゆっくり時間をかけて会社を変えることよりも、自分の手の届く範囲で、会社や組織、社会を少しでも変革し、その新しい風をそよがせたい。
    それが私の結論であり、茂木健一郎氏のいう「批評家」を脱して自分が「実践者」となるための私なりのやり方です。

    2012年3月13日火曜日

    「退職」発言に関する訂正です

    昨日、東日本大震災から学んだこととして、災害用伝言板を活用することをお勧めするツイートを連投したついでに、会社を辞めることを明かしたのですが、思いのほか友人からの反響が大きく、あわてて追加記事を書いています。


    誤解1:昨日会社を辞めて来たわけではない

    昨日、いきなり「今日を限りに辞めさせていただきます!ドンッ!」と会社を辞めてきたわけではありません。
    単に、退職届を出してきただけです。
    3月いっぱいは、いまの会社で働きますよ(退職は4月)。
    そもそも、自己都合退職の場合、原則的に2週間前までに会社に伝えなければなりません。(民法第627条第1項により)
    私のいる会社は就業規則で1ヶ月前までに通知なので、昨日退職届を出して、4月に退職するわけです。
    ちなみに、私はいまの会社が2社目なのですが、1社目の会社を辞めるときは「退職日の前の2週間は業務引き継ぎのため必ず出社すること」という無茶苦茶な規則がありました。
    (いまでもそうなのかな?いまの会社は、有休消化ができます。会社によっては有休を買い取る会社もあるらしいです)


    誤解2:会社を辞めるといっても、専業主婦になるわけではない

    一時的に働くのをストップするだけです。
    理由はいろいろあるのですが、健康問題が一番です。(たいしたことはないのでご心配なく)
    休むと言ってもただで転ぶつもりはなく、ダイエットしたり(←笑ごとでなく!)勉強したり、いろいろします。
    時期がきたらまた働きます。


    誤解3:養ってもらうわけではない

    結婚しているせいか、男女問わず「旦那さんに養ってもらうんですね」と言われることが何度かあったのですが、誤解です。
    我が家は完全別会計制。
    食費も光熱費も別ですし、ローンは半分ずつ別契約なので、私の収入がなくなったからといって私の口座から毎月ローン分が引き落とされる事実は変わりません。
    子どもができたらまた別ですが、DINKSの間はこの形態を続けるつもりです。
    ですので、自動的に「貯金が底をついたら働く」システムになっています。


    自分は会社を辞めるのが2回目ですし、人の出入りの多い会社(業界)にいたので、会社を辞めることのインパクトが人よりも薄れていたらしく、Facebookでのコメントの多さにびっくりした次第です。
    今後は、低速から少しずつギアをあげていく生活になります。
    不安はありますが、わくわくしている自分もいます。
    みなさまの応援を肝に銘じて精進して参る所存です!

    2012年3月12日月曜日

    3.11から一年ーいつか起きるその時に備えて

    2012年の3月11日は、家族と静かな一日を過ごしました。

    思い起こせば去年のあの日、私は自分のオフィスで地震にあいました。
    電車が復旧しないため、会社に缶詰となり、電話は繋がらず、家族の安否もわからず(ほぼ大丈夫という思いはありましたが)とても不安で、ツイッターのDMで連絡がとれた旦那に「家に帰りたい…」と何度も漏らしました。

    いま思えば、状況は想像をはるかに超えていたわけで、私なんてまだまだ幸せな方でした。
    (実際、私のオフィスビルの1階は一般の人の一時避難所として開放されていて、寒い思いをしながらダンボールの上で一夜を過ごすことを思えば、オフィスでぬくぬくと過ごせる自分は幸せでした)

    昨日、マスコミでは、多くの被災者の声を発信していました。
    多くの人が、自分や自分の家族、大切な人が大変な目にあったのを目の当たりにしたり、状況が全く把握できないなかで、少しでも多くの命を、と献身的に行動したことを、淡々と述べていました。

    もし首都直下地震が起こったとしたら、自分も被災しつつ体が動く限り救助に回らなければなりません。
    昨年のあの日の時点で、自分がそれをできたかと思うと、正直自信がありません。
    首都圏にいて、比較的情報がある中でさえ、不安を口にし、家族の安否が頭から離れなかったのです。

    それを思うと常日頃からもしものときの連絡手段を確認しておくことが重要なのだと、改めて思いました。
    (3月12日現在、ソフトバンクでは、災害用伝言板が試用することができます)
    ぜひ、この機会に、大事な人と連絡できる手段を確認してはいかがでしょうか。
    私は、災害用伝言板の使い方を覚えました。
    災害用伝言板の使えば、いざというときにただ家族の安否を確認するためだけ電話回線を圧迫することがなくなります。
    いま備えておくことで、私の将来の心配は多少緩和され、将来の危機を救うかもしれない電話回線がセーブされたわけです。

    特に、親の世代では、使い方がよくわかってない人が多いです。
    昨日は、旦那の実家と私の実家の両方で、電話で指示しながら設定し、サービスを試してもらいました。
    ぜひ、手伝ってあげてほしいです。
    もしものときに、本当に緊急の電話をかけたい人が、電話を使えるように。

    それともう一つ。
    私の友人もツイートしていましたが、行動に踏み出す勇気はとても大きく、継続する勇気はさらに大きい。
    そのことを踏まえた上で。
    私はこれからも、東北の復興の手助けをしていきたいと考えています。
    これまでは、募金やAmazonを通じた支援物資を送る、など金銭的な支援が全てでした。
    閑話休題。
    誠に私事ながら、先ほど退職届を出してきました。退職する理由はいろいろですが、これで収入がなくなります。
    こうみえて、わたくし気が小さくビビりで、内心不安で仕方ありません。ボランティアにしろ、自分のキャリアのことにしろ、先立つものが減る一方なわけです。
    というわけで、金銭的な支援はできなくなり、体で支援することになります。
    体で支援ということは、色々な人とコミュニケーションして、コミットしていくことが求められるわけで、金銭的な支援よりもずっと難易度があがるわけです。
    でも支援は続けたい。
    ここで、先の友人のツイートに戻ります。
    ボランティアも自分のキャリアも、行動しなければなにも始まらないと自分に言い聞かせ、このブログを書いています。
    たぶん、今日のポストをこの先何度も読み返すでしょう。

    お昼に、ツイッター・Facebookでつぶやいた内容を、少し推敲しました。
    この時点で、多くの人に励まし、労りのコメントをいただきました。
    ありがとうございました。
    とはいえ、もうしばらく今の会社にいますし、しばらくしたらまた働き続けます。
    今後もよろしくお願いします。