2012年3月29日木曜日

顧客の声を集めることで価格訴求型の商品の魅力を再発見する「サゲリク」

西友で実施されている、サゲリクというキャンペーンをご存知でしょうか。


13,000品目の商品の中から、顧客が値下げしてほしい商品をTwitterでつぶやく、という手軽なキャンペーンです。30以上のツイートが集まると、店舗で値下げ検討対象になるようです。(2012/3/28でキャンペーンは終了しましたが、一部の商品の値下げは継続されるようです)

このキャンペーンの面白いところは顧客の声をオープンな形で募集する形のキャンペーンでありながら、EDLP(毎日安売り)が売りの西友らしく、顧客の声の反映対象が「価格」であるという点です。

しかし、顧客の声を事業に反映させるやり方は、従来にも存在しています。

たとえば、かなり昔からあるサイトに空想生活というサイトがあります。

空想生活
http://www.cuusoo.com/about/

では、インターネットユーザーが自身の「こんなものがあったらいいのに」というアイデアを投稿し、そのアイデアに他のユーザーの投票を集めることでそれを商品化する企業とのマッチングを行います。投票数が多ければ多いほど企業にとっては魅力的なアイデアであり、仕様や価格面での交渉がしやすくなるわけです。

また、無印良品のくらしの良品研究所では、顧客の声をオープン化し、商品化への対応の様子を時々刻々と伝えています。

くらしの良品研究所
http://www.muji.net/lab/

くらしの良品研究所のサイトを見ていると、現在販売されている無印良品の商品に対する顧客の「こんな風に変えてほしい」の意見に、「検討中」「開発中」「ご報告」などの各ステータスで、無印良品がどのように取り組んでいるのかを表しているかがわかります。また、新たな商品を開発するときに、顧客の意見を聞く座談会を実施し、座談会への参加者を募ったり、座談会の様子、それが商品開発にどう反映されていくのか、工場の様子や実際に使った顧客の声などのレポートをのせているケースもあります。

空想生活にしろ無印良品にしろ、ポイントは、企業と顧客の間で顧客の声の収集および結果のフィードバックが、
  • 潜在的な顧客のニーズの掘り起し
  • 商品の魅力(機能性や付加価値)の醸成
  • 商品の開発・改良を物語化することによる商品の魅力の訴求力強化
など、いわゆる価格競争とは異なる効果を生み出しているという点です。
そして、顧客が自ら商品の開発・改良に力を貸すことで、
  • 顧客と企業/ブランドとの結びつきの強化
にもつながっています。

では、西友のサゲリクの場合はどうでしょうか。実は、サゲリクでも、顧客が価格決定に部分的に関与していることで顧客と商品(企業/ブランド)の結びつきが強化されているのではないか。私はそう考えています。

もともと食品や日用品は価格が購買要因の重要な位置を占める商品です。商品の愛着・忠誠心の強さがあっても、それと価格を天秤にかけたときに価格が勝ってしまうのがごく日常の世界です。しかしサゲリクでは、自分が欲しいと思った商品を値下げしてくれるのですから、価格の訴求力ではなく商品そのものの魅力や機能性が評価されて、値下げ要望につながるわけです。

そういった意味では、サゲリクでは、空想生活や無印良品とは異なる「価格」をキーにしながらも、
  • 商品に対する顧客の評価(商品が適切に顧客ニーズに対応しているかどうかの評価)の顕在化
  • メーカー主導で行われる価格コントロールにより見えにくくなっていた商品の魅力(機能性や付加価値)の再発見
  • 顧客同士が「なぜその商品を安くしてほしいのか」を共有しあうことによる、商品の魅力の訴求力強化
という効果を生み出しています。(これらの効果は、上記で空想生活および無印良品が企業と顧客の間で声を収集しフィードバックする仕組みの中で生み出す効果と対応していることに注意してください)

さらに、サゲリクで自分が気に入っている商品に投票し、それが30票以上獲得すれば値下げされる可能性があるのです。西友に行って買わない理由がありません。そのような意味で、
  • 顧客と企業/ブランドとの結びつきの強化(「そのお店で買う」ことに対する忠誠度の強化)
も実現していることになります。

西友のサゲリクが表すことは何か。 それは、「価格訴求型」の商品・サービスであっても、顧客の声を集めることによって、間接的に商品の魅力を明らかにすることができるということです。

インターネットにより複数の店の価格が比較されそれが価格競争の激化を招いているわけですが、これは商品の魅力がうまく伝わっていなかったり、顧客のニーズに対し商品のスペックが高すぎて価格にそれが反映されていることの裏返しとも言えます。顧客の声をうまく活用することで、顧客のニーズを適正に反映した、適正な価格の商品を作り出すことができるのではないでしょうか。

2012年3月26日月曜日

「正直は最大の戦略」がこれからのビジネス/日本を変える

「正直は最大の戦略である」ことを信じられますか?

一般に、「正直者はバカをみる」ということが信じられています。
しかし、社会心理学の分野で「正直者の方が人に騙されにくく、結果的に得をする」という研究結果が出ていることをご存知でしょうか。

この「信頼」に関する研究を長年続けてこられたのが、山岸俊男先生です。

ほぼ日刊イトイ新聞(以下「ほぼ日」と表記)で山岸先生と糸井重里氏と高校生を交えて対談を行っています。

引用元:
ほぼ日刊イトイ新聞ー「しがらみ」を「科学」してみた

この中で、糸井氏は次のように述べています。

「正直は最大の戦略である」んです。

これを実感したというできごととして、ほぼ日手帳の製造・販売の話をしています。
ほぼ日手帳を作り始めて1年目、すでに販売(当時は通販のみ)が終わった時に、製造メーカーの担当者から「手帳を毎日使っていたらバラける可能性がある」ことを聞かされた糸井氏。そこで「翌年から改善すればいいや」と思わないのが正直者の戦略。もう一冊作って、すべてのお客様に新しい手帳をもう一冊届けたそうです。

結果的に言ったら「バラけるかもしれない」と言われた初期の手帳は、問題なく使えたケースが大半だったようです。 だから、ぼくたちがあとから届けた1冊が余ってしまったので、みなさん、まわりの人にプレゼントしてくれたりしたみたいなんです。そのことが、まだ1年目だったぼくらの手帳を「売れた人数の倍の人」に、知っていただけるきっかけになったんです。

普通の企業であれば「来年からでいいや」と考えてしまうところです。しかしほぼ日は「正直は最大の戦略である」という信念のもと、利益に反することをやって、結果的にビジネスが成功した例といえます。

顧客や市場を信頼し、「正直さ」「誠実さ」を信条に腹をくくってビジネスをするというのは、簡単ではありません。相手の顔が見えれば信頼に値する相手かどうかも判断できるかもしれませんが、すべての顧客に対して信頼性を判断することは不可能です。さらに、企業と顧客、あるいは顧客同士が、ネットワークで双方向でやり取りすることができる時代です。ちょっとした悪評が、企業に大きなダメージを与えることもありえます。したがって、顧客や市場を信頼するということは、理想ではあるけれどもリスクの高い態度であると考えられるのです。

しかし私は、それでもなお、顧客や市場を信頼し、「誠実で」「正直な」態度で事業を行うことが、長期的に見て企業にとってプラスをもたらすと考えます。その根拠となるのが、山岸先生の「信頼」に関する社会心理実験です。

山岸先生はご自身の研究の中で、社会心理実験を通じて日本とアメリカを比較し、信頼と社会の関係を解き明かしています。
一般に「日本は安全で安心な国」であり「アメリカは個人主義でハイリスク・ハイリターンの国」と信じられていますが、山岸先生の説を簡単に説明すると、日本は
  • 安心な関係性の中で暮らしていける
    • ⇒安心な関係性を守るためによそ者を共同体に入れない(ムラ社会)
      • ⇒閉じた関係性の中でのみ取引をする
        • もしかしたらもっとよい取引条件が外の世界にあるかもしれないのに、高いコストを払って閉じた関係性の中で取引をする
        • 「だれを信頼するか/誰を疑うか」というスキルが磨かれない
          • ⇒騙されないように安心な信頼関係の中でしか人間関係を作らない
というスパイラルに陥っている国だとしています。 さらに、そもそも社会構造が「失敗を許さない(=終身雇用のレールから外れると社会に戻るのが、結婚に失敗した人を「バツイチ」と呼ぶ)」ようになっていると指摘しています。その結果として、グローバルな競争にさらされ、終身雇用が崩壊する時代に合って、日本の社会システム自体が高リスクなシステムになっているというのです。 逆にアメリカは、
  • 共同体が開かれていて
  • 広いネットワークの中で取引をする国であり
  • 失敗してもまたチャレンジすればいい、というスタンス
という国だということが、社会心理実験によって証明されているとしています。 (詳しくは、上掲のほぼ日の記事および山岸先生の著作を読んでください。下記の本が読みやすくおススメです。)
山岸先生の研究の通りであれば、私たちは高リスクでリターンの望みが薄い社会の中で、息苦しい思いをしながら生きていることになります。これを逃れるすべはないのか?

山岸先生は著作の中で社会の仕組みを変革する必要を説いていますが、私はそれに加えて、企業側の姿勢も変わるべきだと考えています。つまり、企業が自ら「誠実で」「正直な」態度で事業を行うことが必要だということです。さらに踏み込んで言えば、個人のレベルでリスクと向き合いながら他者を信頼し、社会と関わっていく人が増えていけば、日本の息苦しさを押し下げることができるかもしれません。

「先ず隗より始めよ」。「誠実で」「正直な」新しいビジネスを自分が実現することで、息苦しい社会にひとそよぎの風を送り込む。それが私の目標です。

2012年3月23日金曜日

スマートTVアプリって本当に必要なの?

日経新聞電子版で、元グーグル日本法人社長兼米本社副社長の村上憲郎氏が、スマートTVアプリの理想型として、次の3つのタイプを挙げていました。(注:原文は文章で3つのポイントがあげられていたが、見やすくするため文章から箇条書きに書き直した。)

視聴者は「わがまま」、スマートTV時代 アプリが縦横無尽な視聴を支える(2012/3/6)

  • シナリオ完結型
      例えば、「ローマの休日」を軸にした場合を想定してみよう。映画の進行を追いながら、適宜、ヘップバーンとグレゴリー・ペックという2人の俳優に関するコンテンツ、ウイリアム・ワイラー監督に関するコンテンツ、舞台となったローマに関するコンテンツ、などなどが、断片コンテンツとして予め決められた順序・長さによって提示される。
  • 質問応答型
      「シナリオ完結型」のいかなる所でも、視聴者が割り込んで質問ができ、それに答える様々なコンテンツが提示される。
  • SNS連携型
      さらにその上に、蓄積されたレコメンデーション(お薦めデータ)に基づいて、提示するコンテンツが徐々に変更して提示される。タイムライン(時系列)としてコメントが流れ、それに反応して、提示コンテンツが劇的に変わることもある。


  • 分類としてはとてもわかりやすい分類です。しかし、スマートTVアプリは本当に必要なのでしょうか?

    質問応答型はかなり成立しうる路線でしょう。しかし、現状でも番組にFAXやE-mail、Twitterを連動させる番組はいくつもありますし、デジタル対応テレビであればデータ放送で双方向のやり取りができます。あえてスマートTVと銘打って、テレビとアプリを融合させる必要性はありません。

    SNS連携型は、テレビ局などの既存のマスメディアより新興のコンテンツ配信事業者の方が向いているのは言うまでもありません。

    日本に上陸した緑の黒船「Hulu」の“真価”(2011/9/8)
    何でも、最初は友だちに勧められたドラマを1つ、試しにフルで見てみた。すると「この番組を見た人は、他にこんなものを見ています」というオススメが表示される。リンクをクリックするだけで無料ですぐに見られるので、気軽にお試しできる。それを次々と見ていくうちに、いくつかが気に入り、続けて見るようになった。

    Huluなどのサービスでは、FacebookやTwitterなど既存のソーシャルメディアをフル活用しています。それも、リビングにあるテレビではなくパソコンやiPad、iPhoneなどのモバイルデバイスで見ることが既定路線だから相性がいいのです。見終わったら、次のタイトルへのクリックへのリンクとともに「いいね!」ボタンが表示される。逆に、友達のFacebookのウォールやタイムラインを見ていると、友達がお勧めしているコンテンツへのリンクがあり、そこからすぐにコンテンツにアクセスできる。

    これがテレビの場合、そうはいきません。テレビに「いいね!」ボタンがあっても、テレビと「いいね!」ボタンをいったりきたりすることになっていまい、視聴者の集中を損ねてしまいます。テレビの大画面でFacebookを見るのは意外とつらいので、Facebookからコンテンツへの導線は見込めません。
    とはいえ、日テレなどは、Facebookと番組の連動を試みているようです。どんなものになるのか、楽しみであります。

    日テレ、Facebookとテレビを融合させた新視聴体験「JoiNTV」実証実験へ

    さて、最後になりましたが、シナリオ完結型。これについてはテレビはこれまでにもかなり取り組んできています。番組のグッズ化、映画化、スピンオフストーリー、番組から派生した歌手など。成功したビジネスモデルだけに、スマートTVアプリにした場合に、さらにその効果をアップできるのかが気になります。

    その場合の問題はやはり動線です。コンテンツの視聴を中断させることなく(視聴者の興味を引きつけたまま)いかに、周辺消費に結びつけるか、その動線をどう設計するかにかかっているといえます。もともと消費者がそのコンテンツを溺愛している場合はよいのです。すでに消費者との間で、強い結びつきができていて、企業がそれほど手をかけなくても、少し便利なポータル(コンテンツとその周辺消費への入り口を一箇所にまとめたもの。例えば、番組オフィシャルサイトなど)を設ければ、消費者は自分からそれを探し求め、周辺消費に行き着くからです。問題は、AIDMAでいうところのAIで終わっている消費者をどう取り込むかです。

    注:AIDMAとは、広告宣伝に対する消費者の心理のプロセスを示した略語。A:Attention(注意)、I:Interest(関心)、D:Desire(欲求)、M:Memory(記憶)、A:Action(行動)

    どんなにプロモーションをしても周知される範囲に限度があるのは、これまでの取り組みで十分わかっています。結局は、コンテンツの質を上げて、視聴者にコンテンツを好きになってもらうしかないでしょう。
    しかし、さまざまな手法がやり尽くされた感があるのは周知の事実で、これ以上質を高めることなど困難です。ではどうするのか。

    一つは、一コンテンツあたりの制作コストを下げ、受け入れられる消費者の数が少なくても収益があげられるような構造に変えること。そして二つ目は、大多数に受け入れられるコンセプト作りを諦め、大胆な顧客の絞り込みをすることです。顧客層が断片化している(顧客のセグメントが小さくなっている)時代にあって、マスを相手にミリオンヒットを目指すのは危険です。狙うべき顧客を絞り込み、その人たちにだけ熱狂的に受け入れられるコンテンツを作る。そうすれば、プロモーションで無駄な弾をうたなくても、導線の設計に悩まなくてもいいわけです。

    一つ一つ検証してきましたが、スマートTVアプリで収益を最大化するのは小手先の手段です。
    テレビにとってのライバルは、他のテレビ局ではなく、無料動画サイトや有料コンテンツ配信事業者、ソーシャルメディアを含むインターネットそのものです。スマートTVアプリなどという小手先の手段は通用しません。過去の成功体験を捨て、顧客層が断片化しているという今の状況を真摯に受け止め、それに合ったビジネスモデルにシフトすることを考えるべきではないでしょうか。

    2012年3月18日日曜日

    音楽ビジネスの変化に見る「誠実さ」の拡大

    私は田舎育ちなので、中高生のときには好きなミュージシャンが地元までライブに来なかったりして残念に思ったことがあります。なので、中高生の私にとって、音楽を楽しむことは、CD(しかもレンタル)か、テレビの音楽番組でした。(ラジオという人もいると思うが、夜更かしできない体質なのでラジオにはなじみがなかった)

    時は変わって、数十年後。
    現在首都圏に在住し、ライブに行き放題。CDも買い放題。中高生のころよりもずっと音楽を聴いている時間が長くなりました。さらに、自分がビジネスの仕組みを考える仕事をしていることもあり、(自分の懐には一銭も入らないけれど)音楽ビジネスについてあれこれ推察することも多くなりました。

    iTunesや着うたなどの音楽ダウンロードビジネスのあおりを受け、CDの売り上げが落ちているのは有名な話。また、夏フェスなどの音楽イベントも数えきれないほど開催されています(私もよく参加してます)。さらに、ブログやTwitter、Facebookなどのソーシャルメディアを使ってミュージシャン自身がプロモーションまで行う時代です。

    顕著な例は、レディー・ガガでしょう。

    さて、CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)の観点から、ミュージシャンのソーシャルメディアの活用を考察してみると、
    1. ミュージシャン自身の言葉でメッセージを伝えることによるブランドの強化
    2. ライブ情報やメディア露出情報など情報発信一元化による顧客利便性強化
    3. 関係性(エンゲージメント)の強化・維持(例:Twitterでフォローしてもらったり、Facebookの本人書き込みを見ると近しく感じることができる)
    4. オンラインショッピングによる直接的な収益化
    などが主な目的ではないかと考えられます。 上記で紹介した、レディー・ガガに学ぶソーシャルメディア活用最前線では、ミュージシャンの収入源がCDだけでなく、様々な範囲に及んでいることが述べられています。
    このショップ(筆者注:レディー・ガガオフィシャルサイトのこと)では,ハイチ援助Tシャツ以外にも多様なLADY GAGAグッズが販売されている。さまざまなデザインのTシャツや音楽ダウンロード,ポスター,ステッカーなどにはじまり,サングラス,ヘッドフォン,フードパーカー,はてはノートやフォルダーまでがカバーされている。音楽ビジネスは,デジタル時代の到来とともに,アーティストや音楽を広告塔にして,派生するイベントや物販に事業比重を移行しているが,まさにその一端がうかがえるストアと言えよう。
    ご存知のように、CDの売り上げが減少する中、音楽業界にとってCDは唯一の商品ではなくなっています。音楽はコンテンツであり、それを中心として、CD(あるいはダウンロードしたもの)を聴いたり、グッズを買ったり、ライブに行ったりすることにより、ミュージシャンとそのファンという関係性を体験すること(その結果としてミュージシャンに収入をもたらす)が、音楽ビジネスの全体像になっているわけです。 ここで重要なのは、ミュージシャンと消費者が直接つながることによって従来レコード会社をはじめとする企業が担っていた中間流通機能が不要となり、次にあげるような、ミュージシャンをとりまくビジネスのマネジメントを、ミュージシャン自身がコントロールすることができるようになるということです。
    • ミュージシャンから消費者への情報の提供
    • ブランド(どのようなミュージシャンとして消費者に認知してほしいか)のコントロール
    • 商品(音楽、ライブなどのイベントチケット、グッズなどすべて)の提供
    • 顧客からミュージシャンへの、商品に対するフィードバックの提供
    私に考えるに、ミュージシャンと消費者が直接つながる時代においては、既存の音楽業界のビジネスモデルではなく、よりミュージシャンが消費者と強い信頼関係で結ばれたビジネスとして成立していくようになるのではないでしょうか。 どういうことかというと、
    • ミュージシャンがロングテール化する(売り上げの上位のミュージシャンが売り上げのほとんどを占める市場ではなく、売り上げがそこそこのミュージシャンから零細ミュージシャン(という言い方がいいかは別として)までが存在しうる市場になる)
    • ミュージシャンの収入源が多様化しCDの売り上げが相対的に下がることで、ミュージシャンとレコード会社の力関係が変わる(過去においてはミュージシャンがプロモーションの委託と引き換えにレコード会社に依存しなければならなかったが、レコード会社への依存度が下がる)
      • 結果的にミュージシャンの創作の自由度が広がる(必ずミリオンを目指さなくても、自分の感性と合う消費者にだけ聞いてもらえばいい)
      • 市場に出回る音楽の多様性がさらに高まる
      • ミュージシャンが過度な商業主義を意識しなくてよくなり、顧客に対して誠実なモノづくり(この場合音楽)を提供できるようになる
        • 零細ミュージシャンがさらに成立しやすくなる・・・
    • ミュージシャンが自分の顧客を囲い込まなくてもよくなる(ミリオンを目指さなくてよいので無理にパイを拡大する必要はなく、既存顧客の維持でよい)
      • 自分の顧客に、ほかのミュージシャンをお勧めしやすくなる
        • 同じジャンルの中で、ミュージシャンがミュージシャンをお勧めしあうことで、市場が拡大する(顧客が複数のミュージシャンを支持するようになるから)
    • 結果的に、ミュージシャンが自分という商品を中心にしたビジネスのマネジメントをしやすくなり、レコード会社等の既存の音楽ビジネスの中心的企業が収益を上げにくくなる
    というスパイラルによって市場が推移していくということです。 昔から、ミュージシャンにとっては「クリエイティビティ」と「コマーシャリズム」の葛藤は絶えなかったことでしょう。しかし、ミリオンを目指すという重荷を下ろすことで過度な商業主義に強いられる必要がなくなり、創作の自由度をあげることができるようになったのではないでしょうか。 このことは、ミュージシャンが消費者に対して「誠実な態度」で「自信を持った作品」を提供することができるようになったということです。 この、「誠実」というキーワード。私にとって、いまとても大切なキーワードとなっています。なぜ大切かについては、今後書いていきたいと思います。

    --------
    2012/3/26追記 ミュージシャンがマネタイズすることについて、アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さんがTwitterで次のようにつぶやいていました。 ビジネスの規模が大きくなると自分でコントロールが難しくなるのは当然ですから、必ずしもミュージシャン自身がマネジメントしなければならないということではないと思います。しかし、ミリオンヒットがとめどなく生まれてレコード会社が大きな顔をしていた時代ではなくなったことで、メジャーでやるミュージシャンも活動の自由が広がったのではないかと思います。

    2012年3月17日土曜日

    できないと嘆くよりできるように計画する-個人が会社を変えることはできるか?2

    先日、個人が会社を変えることはできるか?という記事を書いたところ、思いのほかたくさんの方からコメントをいただいたので少し続きを書いてみようと思います。

    そもそも、前回の記事でも書きましたが、私の考えでは「個人が会社を変えることは限定的に可能」です。「限定的」というのは、次の2つのケースであればありうる、ということです。

    A)自分が経営者になる
    B)自分が影響の及ぼすことのできるサイズの規模の組織を作る/見つける(=大企業から離れる)

    Facebookでコメントを寄せてくださった方には、どちらのタイプの方もいらっしゃいました。
    自分が経営者となって、会社を変えた人。
    いま、まさに、自分の権限やできることと比較して、影響を及ぼせる範囲が広すぎる組織(大企業とか)に属していてA/Bいずれの選択肢もとれず(そもそもどちらかを取らなければならないわけではないですから、選択を強要する必要はないのですが)課題に悩んでいる人。
    今の組織で、A/Bいずれの選択肢もとることができず、組織を離れようとしている人。

    また、コメントをいただいた方には

    C)ボトムアップ的に多くの人を巻き込みながら、経営層(組織の長)に働きかける

    という選択肢もありうるのではないか、というご意見もありました。

    この指摘は、実現するかどうか半々、というところではないかと思います。

    ポジティブにみると、意識の高い人・スキルの高い人が集まって、そこで情報を出し合い、互いに自己研鑚するという意味は多いにあると思います。もしトップマネジメントに志が高い人がいるなら(または、志が高い人が将来的にトップマネジメントに食い込むことができれば)、その人を巻き込んで、改めて改革の条件を揃えてもらうということは可能かもしれない。偉くて意識の高い人は、志があってスキルの高い若手スタッフを必要としていますから、すでにそういった人材が社内でボトムアップ的に育成されているとなれば、改革のスピードが上がるかもしれません。

    ネガティブにみると、2つの点で難しいポイントがあると思います。
    まず一つは、そもそも志の高いトップマネジメントがいない(将来的にも生まれる可能性が低い)可能性。特に、大企業病にかかっている場合、人材の採用や人事考課の基準自体に問題があることが多いので、トップマネジメントになる人が会社を変える人材になりうるか疑問です。Facebookでのコメントで「トップも含め『変化』を求めていない人に、変革を説いても受け入れられない」ということをポストしてくださった方がいましたが、まずは今の経営層が問題意識を持って変革を渇望し、変革を実現するための人材を抜擢するという特別な人事考課をしない限り、変革を実現する経営層が生まれる可能性は低いです。ここでキーとなるのは、「変革を渇望する」「抜擢」が、不退転の覚悟であること。ちょっと周囲に反対されたくらいで、抜擢された人の梯子を外してしまうようなことをしたら終わりです。最後まで味方をしなければなりません。
    このように、もし経営層に変革の意思がない場合、仮にボトムアップ的に志の高い人・スキルの高い人が集まっても内輪のサークルどまりになる可能性が高い。

    二つ目は、ボトムアップ的に変革をしていく場合、まず最初に変革の対象となるのは、変革者(変革者のグループ)が影響を及ぼすことができる組織の範囲であるということです。つまり、まず手を付けられるのは、会社全体ではなく会社の中の一部の組織になります。この場合、解決できる課題が限定的になってしまう、というのがポイントです。
    そもそも、およそ「課題」というのは部門横断的なもので、自分たちの組織だけで完結して解決できる課題には限界があります。
    たとえば、自分が営業の現場にいて、「顧客から納品の期日が守られないというクレームが来る」という問題が起きていたとします。その場合、営業部の中だけでその問題を解決しようとした場合、「営業が契約後のフォローを強化する」あたりが妥当な解決策でしょう。しかし、実際にクレームが劇的に減少するかというとそうではないでしょう。生産や調達など、もっと企業活動の上流工程から問題は起きているからです。需要(=営業が受注する)と供給(=生産)のミスマッチ、そもそも営業計画がおおざっぱすぎて、生産計画が立てられないから精緻な予測ができない、生産計画がころころ変わるので調達が追い付かない、など部門を超えて、課題が複合的に絡まりあっていることが、「納期遅れ」の原因になっているわけです。
    問題を「根本的に」解決するためには、組織横断が欠かせないのです。ですので大企業の改革というのは難しく、よほど経営層がコミットして、トップダウンで実行していかない限り難しいわけです。
    (もちろん、小さな組織で実現したことを実績として、少しずつ範囲を広げていく、というやり方もないわけではないと思いますが)

    上述の2つの要素から、

    C)ボトムアップ的に多くの人を巻き込みながら、経営層(組織の長)に働きかける

    については、実現度合いは半々である、というのが私の考えです。

    ここまでは、会社(あるいは組織)論として、どうすれば会社が変わるかという話。
    ここからは、個人のキャリアとして、どうあるべきかという話です。
    個人のキャリアとして考えた場合、A/B/Cいずれの選択肢を選ぼうとも、個人がどう動いて自分の外の世界に少しでも影響を及ぼすことができるかということが重要です。そもそも、会社を変えたいという思いは、自分が希望の持てる仕事をしたいという願望ではないかと思います。仕事に誇りを持っているから、その仕事の質をあげ、成果を出していきたいから、会社を変えたいと思うわけですよね。そうであるならば、理想を思い、こういう会社だったらいいなと語らっているだけでは何も変わりません。もし、会社を変えたいと思うなら、個人のキャリアを充実させることの一環として、自分の仕事にまい進するだけでなく、会社の変革に向けて実際にアクションをとっていくことが必要になるわけです。
    そのためには、いかによい理想があったとしても、それを具体化し、次にどのアクションを取るべきかというレベルにまでタスクを細分化しなければなりません。誰が、いつまでに、何を、誰と決めておくのか。このタスクを実行する前提として終わらせておくタスクは何かを、しつこいくらいに、くわしく洗い出すことが大事です。

    小さな一歩でも、歩みだすことが大事。自分が影響を及ぼすことができる範囲が小さくても、はじめは構わないと思います。継続していれば、少しずつ賛同者が増えることで、何かが変わるかもしれませんから。そういう意味では、上述で選択肢Cを半分だけ否定してしまいましたが、取り組むことに意義がないわけではありません。活動が実を結ぶように、経営層の巻き込みにつなげることを意識し続けることが重要だというだけです。
    ちなみに、私自身は、Bの選択肢を選びました。少し充電期間をおき、小さくても自分が影響を及ぼすことができる範囲の組織を見つける/作ることをめざしています。このブログもその一歩です。

    余談。
    Facebookでいただいたコメントなのですが、「仮に自社が変革したとしても、顧客には受け入れられないのではないか」。
    これは、変革は変革でも、少し取り扱いが異なる種類の問題です。
    課題を洗い出し、その対応策を考えるときに、課題と対応策に優先順位を付けることがあります。優先順位の付け方は、いくつか視点があるのですが、その一つに「自分たちでコントロール可能か」という視点のがあります。
    コントロールが難しいものの例としては「法律」「顧客企業のビジネスプロセス」などです。
    たとえば、バックリベートが発生するような業態の世界について考えてみましょう。バックリベートはコントロールが難しく、自社にとってお得意さんである顧客や自社にとって優位性の高い商品ではないのに、高いバックリベートが支払われていたりすることがあります。できれば、重点顧客とそうでない顧客に軽重をつけたり、商品別の損益をわかりにくくするバックリベート方式ではなく製品価格の見直しなどの方法によって、利益を最大化したいですよね。
    仮に、自社で「バックリベートを廃止して適正な値付けに一本化する」という対応策を考え、製造・営業が一体となってその問題に取り組むことにしましょう。しかし、顧客企業のビジネスプロセスはコントロールが難しいため、顧客からは引き続きバックリベートを要求されるケースがあります。
    そのような場合、自社の状況によって、対応策の優先度や、対応策自体に変更を考えなければなりません。
    仮に、自社が市場で高いシェアを持っており、その顧客が重要顧客ではない場合、「バックリベートを要求する顧客とは取引をしない」という判断をし、バックリベートを廃止しても適正な値付けで収益性を上げることができるでしょう。
    逆に、顧客が圧倒的な購買力を持っている場合、「バックリベートを廃止しない(=バックリベートの適正な管理という対応策に変更する)」という判断が求められるわけです。
    というわけで、「顧客が変革についてきてくれないのでは?」という問題は、自社でコントロールが難しいものの一つであるため、対応策自体の検討で対応できると思います。

    2012年3月15日木曜日

    個人が会社を変えることは可能か?

    先日、脳科学者の茂木健一郎氏がツイッターで、以下のようなことをつぶやいていました。

    引用元:
    「茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第534回「批判はいいけれど、自分の身体を張った現場感覚も必要だよね」」

    ツイッターのTLを見ていると、舌鋒鋭く批判している人がたくさんいるけれども、自分たちはどうかと振り返ってみることはあるのかな。批評家で済むのは日本の風土で、アメリカだったら、「お前やってみろよ」と言われる。日本のかくも長き停滞は、そのあたりに原因があるのかもしれません。

    しかし、その後、フォロワーからの問いかけに対しに対し、以下のような返信もしています。

    確かにそれもあるね。→批判したらやらせてもらえるチャンスがあるのがアメリカ。批判すると蓋をされて追いやられるのが日本。その差では?

    奇しくも、先日大手メーカーに勤める友人と話をしていて、同じような話を聞きました。
    社内でなにかを提案しようとすると、なにかにつけて「じゃあ裏付けをもってこい」と言われてる。
    裏付けといっても、データの収集は容易ではありません。
    誰もなしえなかったことだったり、あるいは実践しても外に出したくないノウハウだから、世の中に情報やデータがおいそれとあるわけはないのです。
    なかなか裏付けが集められないと「あいつは口ばっかりで使えない」とまですら言われて、あまつさえ提案をやらせてもらえずモチベーションが下がっているのに、その上マイナス評価。
    それはだれも提案しなくなるのは当たり前。
    私がいくつかの企業とお仕事をさせていただいた経験からいうと、それは友人の会社に限ったことではないと思います。

    私が、前の会社を辞めたのは、同じように会社を変えることの難しさをひしひしと感じたからです。
    新卒で入社した会社は大手メーカーでした。
    新人の私の目から見ても、私が所属していた組織は業績を伸ばすどころか維持することすらできず、疲弊していました。
    大企業ですから、やりかたはまどろっこしく保守的です。
    新人で生意気だった私としては、おかしいと声を大にして叫ぶわけですが、なにしろどうしたら課題を解決できるのか、その手段がわからない。
    そもそもその課題は根本的な課題なのか、それを改善すればすべてがうまくいくようになるのかがわからない。
    周りを見渡しても、製品・サービスのプロはいても、組織を変える方法を知っている人はいません。

    私は、コンサルティングファームに転職し、そこで、いくつものプロジェクトに携わりました。
    正しい課題抽出の仕方、その課題に対するソリューションの導き方、実践にあたって周囲の人を巻き込むマネジメントのあり方、異なる考え方を持った人とのディスカッションを有効にまとめ上げるための手腕。
    私がコンサルティングファームで学んだことは、まさに会社を変えるためのフルパッケージであったと言えます。

    とはいえ、個人のレベルで巻き込むことができる範囲はたかが知れているのが現実です。
    どんなに高度なスキルを身につけても、個人が会社を変えることは容易ではありません。
    そもそも、会社や特定の組織において個人がとりうる立場は、
    トップダウン:経営層(あるいはある程度の規模の組織の長)になって、自分の裁量で改革を実行する。
    ボトムアップ:自分自身がスキルアップして(上記の4を身につけて)、自分の影響を及ぼすことができる範囲から手をつける
    のいずれかです。

    さらに私個人の経験から言えば、改革がうまくいくための条件として
    1)組織横断的な専任の改革担当部門を設け、現場レベルの担当者から経営層までを巻き込んだ仕組みにすること。
    2)責任の所在を明確にし、経営層のコミットメントを確約すること。
    3)人材の確保を含め、必要な投資を惜しまないこと。
    4)必要なスキルを持った人材を投入すること。(内部調達でも外部調達(=コンサルティングファーム等)でも構わない)
    などが必須であるように思います。
    この成功の条件をそろえるためには、大企業の場合、トップダウンアプローチでなければ困難でしょう。
    (ボトムアップ的に組織のピラミッドの下層の人間が、「周囲の人間の巻き込み」「組織横断的」「コミットメント」などの条件を揃えられるべくもありませんから。)
    これが、ある程度組織のサイズが小さくなってくると、自分が4の条件さえ満たせば個人レベルでも会社を変えることは可能です。
    自分の影響を及ぼすことができる範囲と会社(組織)の規模がニアリーイコールだからです。

    したがって、タイトルにあるように、「個人が会社を変えることは可能か?」という問いに対しては、「限定的に可能」というのが結論です。
    つまり、次の2つの選択肢のいずれか、です。
    A)大企業で粘って自分が経営者になる
    B)自分が影響の及ぼすことのできるサイズの規模の組織を作る/見つける(=大企業から離れる)

    私は結局、選択肢Bを選ぼうとしています。
    新卒で入社した会社を辞め、コンサルティングファームに転職することを決意した日の「会社を変えたい」という思い。
    選択肢Aを選んで、ゆっくり時間をかけて会社を変えることよりも、自分の手の届く範囲で、会社や組織、社会を少しでも変革し、その新しい風をそよがせたい。
    それが私の結論であり、茂木健一郎氏のいう「批評家」を脱して自分が「実践者」となるための私なりのやり方です。

    2012年3月13日火曜日

    「退職」発言に関する訂正です

    昨日、東日本大震災から学んだこととして、災害用伝言板を活用することをお勧めするツイートを連投したついでに、会社を辞めることを明かしたのですが、思いのほか友人からの反響が大きく、あわてて追加記事を書いています。


    誤解1:昨日会社を辞めて来たわけではない

    昨日、いきなり「今日を限りに辞めさせていただきます!ドンッ!」と会社を辞めてきたわけではありません。
    単に、退職届を出してきただけです。
    3月いっぱいは、いまの会社で働きますよ(退職は4月)。
    そもそも、自己都合退職の場合、原則的に2週間前までに会社に伝えなければなりません。(民法第627条第1項により)
    私のいる会社は就業規則で1ヶ月前までに通知なので、昨日退職届を出して、4月に退職するわけです。
    ちなみに、私はいまの会社が2社目なのですが、1社目の会社を辞めるときは「退職日の前の2週間は業務引き継ぎのため必ず出社すること」という無茶苦茶な規則がありました。
    (いまでもそうなのかな?いまの会社は、有休消化ができます。会社によっては有休を買い取る会社もあるらしいです)


    誤解2:会社を辞めるといっても、専業主婦になるわけではない

    一時的に働くのをストップするだけです。
    理由はいろいろあるのですが、健康問題が一番です。(たいしたことはないのでご心配なく)
    休むと言ってもただで転ぶつもりはなく、ダイエットしたり(←笑ごとでなく!)勉強したり、いろいろします。
    時期がきたらまた働きます。


    誤解3:養ってもらうわけではない

    結婚しているせいか、男女問わず「旦那さんに養ってもらうんですね」と言われることが何度かあったのですが、誤解です。
    我が家は完全別会計制。
    食費も光熱費も別ですし、ローンは半分ずつ別契約なので、私の収入がなくなったからといって私の口座から毎月ローン分が引き落とされる事実は変わりません。
    子どもができたらまた別ですが、DINKSの間はこの形態を続けるつもりです。
    ですので、自動的に「貯金が底をついたら働く」システムになっています。


    自分は会社を辞めるのが2回目ですし、人の出入りの多い会社(業界)にいたので、会社を辞めることのインパクトが人よりも薄れていたらしく、Facebookでのコメントの多さにびっくりした次第です。
    今後は、低速から少しずつギアをあげていく生活になります。
    不安はありますが、わくわくしている自分もいます。
    みなさまの応援を肝に銘じて精進して参る所存です!

    2012年3月12日月曜日

    3.11から一年ーいつか起きるその時に備えて

    2012年の3月11日は、家族と静かな一日を過ごしました。

    思い起こせば去年のあの日、私は自分のオフィスで地震にあいました。
    電車が復旧しないため、会社に缶詰となり、電話は繋がらず、家族の安否もわからず(ほぼ大丈夫という思いはありましたが)とても不安で、ツイッターのDMで連絡がとれた旦那に「家に帰りたい…」と何度も漏らしました。

    いま思えば、状況は想像をはるかに超えていたわけで、私なんてまだまだ幸せな方でした。
    (実際、私のオフィスビルの1階は一般の人の一時避難所として開放されていて、寒い思いをしながらダンボールの上で一夜を過ごすことを思えば、オフィスでぬくぬくと過ごせる自分は幸せでした)

    昨日、マスコミでは、多くの被災者の声を発信していました。
    多くの人が、自分や自分の家族、大切な人が大変な目にあったのを目の当たりにしたり、状況が全く把握できないなかで、少しでも多くの命を、と献身的に行動したことを、淡々と述べていました。

    もし首都直下地震が起こったとしたら、自分も被災しつつ体が動く限り救助に回らなければなりません。
    昨年のあの日の時点で、自分がそれをできたかと思うと、正直自信がありません。
    首都圏にいて、比較的情報がある中でさえ、不安を口にし、家族の安否が頭から離れなかったのです。

    それを思うと常日頃からもしものときの連絡手段を確認しておくことが重要なのだと、改めて思いました。
    (3月12日現在、ソフトバンクでは、災害用伝言板が試用することができます)
    ぜひ、この機会に、大事な人と連絡できる手段を確認してはいかがでしょうか。
    私は、災害用伝言板の使い方を覚えました。
    災害用伝言板の使えば、いざというときにただ家族の安否を確認するためだけ電話回線を圧迫することがなくなります。
    いま備えておくことで、私の将来の心配は多少緩和され、将来の危機を救うかもしれない電話回線がセーブされたわけです。

    特に、親の世代では、使い方がよくわかってない人が多いです。
    昨日は、旦那の実家と私の実家の両方で、電話で指示しながら設定し、サービスを試してもらいました。
    ぜひ、手伝ってあげてほしいです。
    もしものときに、本当に緊急の電話をかけたい人が、電話を使えるように。

    それともう一つ。
    私の友人もツイートしていましたが、行動に踏み出す勇気はとても大きく、継続する勇気はさらに大きい。
    そのことを踏まえた上で。
    私はこれからも、東北の復興の手助けをしていきたいと考えています。
    これまでは、募金やAmazonを通じた支援物資を送る、など金銭的な支援が全てでした。
    閑話休題。
    誠に私事ながら、先ほど退職届を出してきました。退職する理由はいろいろですが、これで収入がなくなります。
    こうみえて、わたくし気が小さくビビりで、内心不安で仕方ありません。ボランティアにしろ、自分のキャリアのことにしろ、先立つものが減る一方なわけです。
    というわけで、金銭的な支援はできなくなり、体で支援することになります。
    体で支援ということは、色々な人とコミュニケーションして、コミットしていくことが求められるわけで、金銭的な支援よりもずっと難易度があがるわけです。
    でも支援は続けたい。
    ここで、先の友人のツイートに戻ります。
    ボランティアも自分のキャリアも、行動しなければなにも始まらないと自分に言い聞かせ、このブログを書いています。
    たぶん、今日のポストをこの先何度も読み返すでしょう。

    お昼に、ツイッター・Facebookでつぶやいた内容を、少し推敲しました。
    この時点で、多くの人に励まし、労りのコメントをいただきました。
    ありがとうございました。
    とはいえ、もうしばらく今の会社にいますし、しばらくしたらまた働き続けます。
    今後もよろしくお願いします。